〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/11/13 (土) ベートーヴェンの生涯 (二十二)

かくて彼はその全生涯の目標であったところのもの、すなわち歓喜・・ をついにつかんだ。 ── 多くの嵐を制御するこの魂の絶頂に、彼は永くとどまる事が出来るであろうか? ── 確かにさらに幾度も、彼は旧知の悩みの中へずり落ちねばならなかった。確かに、彼の最後の幾つかの弦四重奏曲クワルテット は奇妙なかげ りに充ちている。とはいえ 『第九交響曲』 の勝利は彼のうち に、消えざる輝きの刻印を残したようである。彼が将来作ろうと考えていた計画 『第十交響曲』 と 『バッハの名に拠る序曲』 とグリルパルツァーの詩劇 『メルジーネ』 の為の音楽と、ケルナー作の 『オディセウス』 およびゲーテの 『ファウスト』 の為の音楽と、旧約聖書の 『サウルとダヴィデ』 の物語に拠る宗教楽オラトリオ とは、バッハやヘンデルのような昔のドイツの巨匠らが示したあの強大な清澄さセレニテ に向かって ── さらにまた、地中海的南方の明るさと、南方フランス、および彼が遍歴することを夢みていたあのイタリアとに向かって、 ベートーヴェンの心が引き寄せられていたことを証拠立てている。
1826年に彼に逢ったシュピラー博士は、ベートーヴェンの様子が悦ばしげで晴れやかになっていたと言っている。グリルパルツァーがベートーヴェンと最後に語ったのもその同じ年のことであるが、そのとき落胆している詩人の心を鼓舞したのはベートーヴェンだった。
グリルパルツァーは嘆いて言った ── 「ああ、あなたの千分の一の力と不屈さを私が持っていたらううのだが!」 とグリルパルツァーは嘆いた ── 「自由に語ったり考えたりしようと思えば、北アメリカへ移住するほかはない。」 しかしベートーヴェンは自分の考えをぶちまけていた。 「言葉はつながれている。しかし幸いに音は音は今も自由です」 と詩人クッフナーは彼に宛てて書いた。ベートーヴェンは偉大な、とらわれない声である ── おそらく当時のドイツ思想の中では唯一の。彼はそれを自覚していた。彼は自己に課せられていると感じた義務についてしばしば語っている。それは、自己の芸術を通じて 「不幸な人類のために」 「未来の人類のため」 に働き、人類に善行を致し、人類に勇気を鼓舞し、その眠りを揺り覚まし、その卑怯さを鞭打つことの義務である。甥への手紙にも書いている ── 「今の時代にとって必要なのは、けちな卑怯な乞食根性を人間の魂から払い落とすような剛毅な精神の人々である」 と。ミュラー博士は1827年に言った 「政府や官憲や貴族やについてベートーヴェンは常に公々然と意見を述べた。官憲はそれを知っていたが彼の批評や諷刺やを罪のない夢物語だとして大目に見ていた。ベートーヴェンが非凡な天才あるがために放任しておいた。」

『ベートーヴェンの生涯』 著:ロマン・ロラン 訳:片山 敏彦  発行所:岩波書店 ヨ リ
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