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2010/11/14 (日) ベートーヴェンの生涯 (二十三)

この不撓の力を屈せしめることは何者にも不可能であった。そしてこの力jは今や悲哀と戯れているかのように見える。最晩年に書かれた作品は、それらが作られた境遇の惨めさにもかかわらずしばしばまったく新しいひざけ心や、雄々しく楽しげな無執着の性格を持っている。
死に先だつ四ヶ月のとき、1826年十一月に書き上げた最後の楽章、すなわち作品百三十の弦四重奏曲の書き直された終曲ははなはだ快活なものである。もとよりこの快活さは世の常のものではない。モーシュレスがそれについていったことのある厳しく荒く突発的な笑いであるかと思えばしかしまたそれは、悩みを克服した人間の示す感銘深い微笑である。いずれにせよ、ベートーヴェンは勝っている。もはや死の存在を彼は信じない。
とはいえ死は近づいて来た。1826年の十一月の末に彼は肋膜炎性の風邪をひいた。甥の将来の安定を配慮するためにした冬の旅から帰ってヴィーンで病床についた。友人たちは近くにいなかった。医者を招いてくれと甥に依頼した。このこのやくざ男はその用向きを忘れてしまい、二日の後にやっと思いついた。医者はあまりにも遅れて来て、 ベートーヴェンをぞんざいに取り扱った。三ヵ月間彼の頑強な体質は病気と戦った。1827年の一月三日に彼は最愛の甥を全部の遺産相続者に指定した。 ベートーヴェンは今一度、ライン河畔の幼な友だちの上を偲び、ヴェーゲラーに宛てて書いた ── 「どんなに多くのことを僕はもっと君に言いたいか知れないのだが、もう弱り過ぎた。僕は君と君のロールヒエンとを、心の中で抱くことしか出来ない。」 英国の数人の友らの寛宏な親切心がなかったら、彼の最後の瞬間すら悲惨の暗さに包まれたのかも知れなかった。彼は非常に柔和になり、非常に辛抱強くなっていた。死が迫って来た床の上で1827年二月十七日に彼は三度目の手術の後に四度目のを待ちながら朗らかな様子でこう書いた ── 「辛抱しながら考える、一切の禍は何かしらよいものを伴って来ると。」
その 「よいもの」 は、このたびこそは死の解放なのであった。臨終の彼自身の言葉によれば 「喜劇の大団円」 なのであった。 ── われわれはむしろ言おう 「彼の全生涯の悲劇の終結」 と。
彼が息を引き取ったときは嵐と吹雪の最中であり、雷鳴が鳴り渡っていた。そして彼の瞼を閉じてやったのは行きずりの見知らぬ人の一つの手であった。 (1827年三月二十六日)

『ベートーヴェンの生涯』 著:ロマン・ロラン 訳:片山 敏彦  発行所:岩波書店 ヨ リ