〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/16 (火)

藤 裏 葉 (九)

さて、姫君の御入内には、北の方が付き添われるのが慣例でしたが、紫の上は長くお側にお付きしていることもおできにならないだろうし、こうした機会に、御生母の明石の君を御後見おんうしろみ として付き添わせようかと、源氏の君はお考えになります。紫の上も、
「結局は一緒にお暮しになられるのが当然なのに、今のように親子別れ別れに暮していらっしゃるのを、明石の君も、内心ではひどい仕打ちだと嘆いていらっしゃるだろうし、姫君のお気持としても、御成人なさった今では、次第に生みの親が気がかりになっていらっしゃるにちがいない。お二人からそれぞれわだかまりを持たれているとしたら、つまらないことだ」
とお思いになって、
「この機会に、明石の君を付き添わせておあげなさいまし。まだ姫君はとても幼くか弱いお年頃なのも心配ですのに、お仕えしている女房たちにしても、若くて気のつかない者ばかりが多いのです。乳母たちにしましても、気を付けてところで、なかなか行き届きかねます。だからといって、わたしがいつもいつもお側についていられるわけでもなし、そんな時にも、あの方なら安心できましょう」
と申し上げます。源氏の君はよく気の付く人だとお思いになって、
「紫の上がこう言っている」
と明石の君にお話しになりましたので、明石の君はたいそう嬉しくて、願いが何もかもかなってしまった気持がして、女房の衣裳や、その他万端のkとも、高貴な紫の上の御有り様に劣ることのないようにお支度をします。
御祖母の明石の尼君も、やはりこの姫君の御行く末をお見届けしたいという気持が深かったのです。
姫君にもう一度、お逢いできる時節もあるだろうかと、命まで執念を深く長らえて祈っておりましたので、入内後はどうしたらお目にかかれることやら心配するのも悲しいことでした。
入内のその夜は、紫の上が付き添われて参内いたしますので、御生母の明石の君は、
御輦車みてぐるま の後から歩いてお供して行ったりするのは、ずいぶんはた目には見苦しいことだろう。自分はそんなことは平気だけれど、ただこうして立派にお育て下さった玉のような姫君のきず になりはしないだろうか」
と思って、自分のような者がこうして生き永らえていることを、かえって辛くさえ思うのでした。
入内の儀式は、人目を驚かすような仰々しいことはすまいと、源氏の君はお思いになるにつけても、誰にも渡したくなくて、これが実の子でこういう晴れがましいことがあったなら、どんなにいいだろうとお思いになるのでした。源氏の君も、夕霧の宰相も、姫君が、ただ紫の上の実のお子でないことだけが、残念なことだとお思いになります。
紫の上は宮中で三日お過ごしになってから、御退出になります。
入れ替わりに、明石の君が参内なさいますので、その夜、紫の上とはじめて御対面になりました。
紫の上は、
「姫君がこのように御成人なさいましたのを見るにつけても、あなたとの長い御縁がしのばれますので、もう他人行儀な遠慮はお互いになくなるでしょうね」
と、さも親しそうにおっしゃって、いろいろと世間話などなさいます。これもお二人が打ち解けられる糸口になったことでしょう。
明石の君が話される態度や雰囲気などに、源氏の君がこの人を深く愛されるのも無理もないと、紫の上は、つくづく思われます。また明しに君も、世にも高貴な感じの上に、¥女盛りで匂うような紫の上を、何というすばらしい魅力的なお方だろうと感じ入って、
「たくさんの女君の中でも、源氏の君の特別な御寵愛をお受けして、肩を並べる者もない地位を、おひとり占めにしていらっしゃるのも、なるほど、もっともなこと」
といなずかずにはいられません。
「その御立派な紫の上と、こんなにまで対等にお話出来る自分の運勢は、並大抵のものではない」
と思うのでした。とはいえ、紫の上の御退出の儀式が、ほんとうに盛大で、勅許の御輦車みてぐるま などに乗られて、まるで女御の御待遇に変わらないのを目の当たりにするにつけても、やはりどうしようもなく劣った自分の身分なのだと思い知るのでした。それでも姫君が、いかにお可愛らしく雛人形のようでいらっしゃるのを、まるで夢のような気持で拝しましても、嬉し涙ばかりあふれて、これが悲しい時にも流れる同じ涙なのかと、つくづく有り難く思います。
長い年月、何かにつけ嘆き悲しみ、色々と辛いわが身の運命だと悲観しきっていたこの寿命も、今ではもっと延ばしてほしいと思うくらい、晴れやかな気持になるのでした。それにつけても、これこそ住吉の明神のあらたかな御霊験だと、しみじみ有り難く思わずにはいられません。

源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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