〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/13 (土)

藤 裏 葉 (六)
後朝きぬぎぬ のお手紙は、やはりこれまでのように人目を忍んだふうに心遣いをしてとどけられました。女君の方では、昨夜の今朝でかえってお返事が書けないでためらっていらっしゃるのを、口さがない¥女房たちが見てお互いに突っつきあっているところへ、内大臣がいらっしゃって、そのお手紙を御覧になられたのは、何とも困ったことでした。
「いつまでも打ち解けて下さらなかった御様子に、ますます自分の不甲斐なさが思い知らされました。たまらないこの辛さに、またもやわたしは命が消えてしまいそうです。それにつけても」
とがむなよ 忍びにしぼる 手もたゆみ 今日あらはるる 袖のしづくを
(咎めないでほしい あなたの情なさゆえに 人知れずひそかに 涙の袖を 絞ってきた気もゆるみ 今日は人目についたことを)
などと、いかにも物馴れ顔の書きぶりです、内大臣はお笑いになって、
「字もたいそうお上手になられたものだ」
などおっしゃいますのも、昔の意地の悪かった名残は全くありません。女君のお返事がなかなか書けそうにありませんので、
「だらしがない」
と、内大臣はおっしゃりながらも、自分の前では書き難いのも当然だとお思いになり出ていらっしゃいました。
お使いの祝儀には、特別の品々をお与えになりました。柏木の中将がお使いたちを気の利いたふうにおもてなしになります。いつも夕霧の宰相のお手紙をひそかに運んで来ていたお使いも、今日は顔付きまで、いっぱしの者のように得意気に振舞っているようです。右近うこん将監ぞう という者で、宰相が気を許して召し使っていられる者なのでした。
六条の院の源氏の君も、昨夜の事の次第をすかりお聞きになっていらっしゃいました。
夕霧の宰相がいつもより美しさの輝く御表情で参上なさいましたのを、つくづく御覧なって、
「今朝はどうだった。お手紙などもさし上げたかね。賢い人でも、女のことではしくじることがあるのに、見苦しく思いつめたり、いらいらせずに、今日まで来たのは、少しは人よりましな見所があると思っていた。内大臣の対応が、あまりに頑固だったのに、今になってすかkり向うから折れてしまわれたのを、世間も何かと噂することだろう。だからといって、自分の方が思い上がり得意顔して、浮気心など見せてはならない。内大臣はさも鷹揚おうよう な度量の広い人のように見えるけれど、本心は男らしくなく、癖があるので、付き合いにくいところのある方なのだ」
などと、いつものように教訓をなさいます。
源氏の君は若い二人を釣り合いもよく似合いの仲だと、お考えです。
源氏の君は若々しいので、宰相の父君とはとても見えず、ほんの年上の兄君のようにお見受けされます。お二人が別々にいらしゃる場合には、夕霧の宰相は源氏の君の生き写しのように見えるのですが、父君の御前にいらっしゃいますと、お二人それぞれに特色がおありで、何という御立派な方々だろうと思われます。
源氏の君は薄縹色うすはなだいろ の御直衣のうし に、白い唐織からおり のお召物で、地紋が鮮やかにつやつやと浮き立ち透けているのをお召しになっていらっしゃいます。そのお姿は、このお年でも、相変らず¥まだ限りなく上品で、あでやかでいらしゃいます。
夕霧の宰相は、父君より少し濃い色の御直衣に、丁子ちょうじ 染めの焦げ茶に見えるほど濃く染めたのと、白綾のしなやかな下襲したがさね をお召しになっていられるのが、殊更に花婿らしく優艶に見えます。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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