長の年月にわたって、夕霧の中将が、雲居の雁の姫君を思いつづけて来た甲斐があったというものか、あの内大臣もすっかり我
が折れて気弱くなられて、わざわざではなくさり気ない機会に、しかしそれにふさわしい折をみて、夕霧の中将をお招きしたいと考えていらっしゃいます。 四月の初め頃、内大臣邸のお庭先の藤の花が、それは見事に美しく咲き乱れて、この世のものとは思えない眺めです。このまま散らせてしまうのはあまりに惜しい花盛りなので、内大臣邸では藤見がてら音楽の会を催されました。 たそがれていくにつれ、藤の花が一段と色美しく見える頃、夕霧の中将への招待状を、柏木の中将がお使いとして届けられました。 「先日の花の蔭でお会いした時のことが、おなつかしくものたりない気がしますので、お暇ひま
でしたら、お立ち寄り下さいませんか」 と口上でお伝えし、お手紙には |
わが宿の
藤の色濃き たそかれに 尋ねやは来こ
ぬ 春の名残を (わが家の藤の花房 色濃く黄昏にじむ よき今宵 逝く春の名残を惜しみ 訪いたまわずや君) |
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という歌が、いかにも美しい見事な藤の枝につけてあります。夕霧の中将は、こういうお誘いを内心待ちかねていられたもにの、やはり現実にこうしてお招きを受けると、嬉しさに心がときめいて、 |
なかなかに
折りやまどはむ 藤の花 たそかれ時の たどたどしくは (せっかくのお招きながら 黄昏のほの暗い夕闇に 藤の花さえとけこんで
果たして折ってよいものやら かえって心は迷うばかり) |
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とお返事を書きます。 「情けないくらい気おくれしてしまって。あなたからよろしくお取りなして下さい」 とおっしゃいます。 「わたしがお供しましょう」 と柏木の中将がおっしゃいますと、夕霧の中将は、 「そんな気の張る随身ずいじん
はいやですよ」 と言って、柏木の中将を帰されます。 源氏の君に、実はこうこうでしたと、内大臣のお手紙をお見せします。 「これは内大臣に何か思惑があってのお招きだね。先方からこう積極的に折れてこられたのだから、昔のいやな思いをした恨みも解けるというものだね」 とおっしゃいます。その得意そうな御表情は全く憎らしいくらいです。 「いや、そんな深いわけもないのでしょう。ただお邸のお庭の藤の花が、例年よりも見事に咲いたそうなので、たまたま公務も暇な折だから、音楽の園遊会でもなさろうというおつもりでしょう」 と申し上げます。 「改まって使者をよこされたのだから、早く出かけなさい」 と、御訪問をお許しになります。夕霧の中将は果たしてどうなるだろうと、内心心配で落ち着きません。源氏の君は、 「その直衣のうし
は色があまり赤みが濃すぎて、軽々しく見えるだろう。非参議ひさんぎ
の人とか、これという役もつかない若者なら、二藍ふたあい
でもいいだろうが、あなたはもう宰相なのだから、もっと着飾った方がいいだろう」 とおっしゃって、御自分用のお召物の中でも、特に立派な直衣に、極上の下着を何枚も揃えて、お供に持たせておやりになります。 宰相は、御自分のお部屋で、たいそう念入りに化粧をこらして、黄昏時も過ぎ、先方が気を揉も
んで待ち兼ねている頃においでになります。 |