明石の君の入内
のお支度で忙しいさなかにも、夕霧の中将は、物思いに沈みがちで、心も空にぼんやりとしていることが多く、一方では不思議に、我ながら何と執念深いことかと思います。こんなにもひたむきに雲居くもい
の雁かり の姫君が恋しくてならないのなら、今では関守のように二人の仲を邪魔していた内大臣も、この頃では気が折れて、許してくれそうだという噂もあるし、 「どうせ同じことなら、もう少しがまんして、世間の手前もみっともなくないよう、最後まで意地を通そう」 と、辛さに耐えているのも苦しく、あれこれ思い悩んでいらっしゃいます。 雲居の雁の姫君の方でも、父内大臣がふと洩らされた他の姫君との縁談の噂をお聞きになってからは、 「もしそれがほんとうなら、わたしのことなどは何の未練もなく忘れてしまわれたのだろう」 と、悲しくてなりません。妙にこのお二人はお互いに、背を向け合ったまま、それでもやはり恋しがっている、相思相愛の御仲なのでした。 内大臣も、あんなに強気でいらっしゃいましたけれど、事がうまく運ばないのに思いあぐねられて、 「中務なかつかさ
の宮家でも夕霧の中将を婿にと決めておしまいになったのなら、こちらではまた誰彼と改めて婿選びをすることになると、相手の人にも気の毒なことだし、こちらとしても世間の物笑いになって、自然に何かと軽蔑されるようなことが起こるだろう。内輪の過失だって、いくら隠しても世間に漏れ広まっていることだろう。なんとかうまくとりつくろって、やはりここはこちらから折れて出なければなるまい」 というお気持になられました。 表面はさりげなく振る舞っていますけれど、内心ではお互い恨みが消えていませんので、だしぬけに話しを持ちかけるのもどうしたものかと、内大臣は遠慮されて、 「そうかといって、こちらから、改まって申し込むのも、世間から馬鹿にされるだろうし、いったいどんな機会にそれとなく話せばよいものか」 などお考えになります。 三月二十日は古大宮の御命日に当たりますので、内大臣は極楽寺ごくらくじ
に法事のためお詣まい りに行かれました。御子息たちをみんな引き連れて、御威勢いかめしく、上達部かんだちめ
なども法要に大勢お集まりになりました。なかでも夕霧の中将は、どなたにもひけをとらない堂々たる御風采で、御器量なども、ちょうど今が盛りの御成人ぶりに、何から何まで、すばらしい御様子なのでした。 こちらの内大臣をひどい方だとお恨みになってからは、お目にかかるのも気がひけて、たいそう用心深くし、ことさら平静を装っていらっしゃいま。そんな様子を、内大臣もそれとなくいつもよりは注目していらっしゃいます。 御誦経みずきょう
のお布施は、源氏の君からもお届けさせになりました。夕霧の中将は、まして、万事引き受け、心をこめて御奉仕なさいます。 夕暮にかけて皆お帰りになる頃、桜の花がいっせいにさきみだれ、夕霞ゆうがすみ
があたり一面におぼろに立ち込めました。その風景に、内大臣は昔を思い出されて、優雅に歌を口ずさみながら、あたりを眺め、思いにふけっていらっしゃいます。夕霧の中将も、心にしみる夕暮の風景に、たいそうしんみりして、 「雨になりそうだ」 と、人々がざわめいているのも気にとめず、やはり自分ひとりの思いにひたっていらっしゃいま。その様子を御覧になった内大臣は、ふっとお心にときめくものをお感じになられたのか、夕霧の中将の袖をお引きになり、 「どうして、そんなにいつまでもわたしをお責めになるのです。今日の法事は大宮のためと思って下されば、その血縁の深さに免じて、わたしの罪はもう許してくださいよ。余命も少なくなっているこのとしよりを、お見限りなさるとは、お恨みに思いますよ」 とおっしゃいますので、夕霧の中将はひどく畏かしこま
まって、 「亡き大宮からも、内大臣におすがりするようにと、御意向をお聞きしていた件がありましたが、お許しを下さりそうもない御様子なので、遠慮しておりまして」 と申し上げます。 心の落ち着かない急な雨風になりましたので、参会の人々は、皆ちりぢりに先を争ってお帰りになりました。 夕霧の中将は、内大臣がどういうおつもりでいつもに似ず、なんなふうに親しそうな態度をなさったのだろうなど、何かにつけて、常々心にかけている内大臣家のことなので、ほんの一言だったのに耳に残って、ああか、こうかと考えつづけて眠れない夜をお明しになりました。
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