墨や筆など、最上のものを選び出して、またいつかのように、あちらこちらの女君たちに、折り入って御依頼状をさしあげます。女君たちは、難儀なこととお思いになって、御辞退なさる方もありますが、源氏の君は重ねて丁重にお願いなさるのでした。 高麗
の紙の、薄様うすよう に似たのが、たいそう優雅なので、 「あの風流好みの強い若い人たちにこの紙に書かせて試してみよう」 とおっしゃって、夕霧の中将、式部卿の宮の子息の兵衛ひょうえ
の督かみ 、内大臣家の柏木の中将などに、 「葦手あしで
でも歌絵でお、それぞれ好きなようにお書きなさい」 とおっしゃいましたので、皆思い思いに書き、競争するようです。 前の香競こうくら
べの時のように、源氏の君は今度もいつもの寝殿に一人離れて、ひそかにお書きになります。 桜の花盛りが過ぎて、浅緑の空がうららかに晴れていますので、古歌などを静かによくよく思案なさって、御満足のいくまで、草仮名の字も普通の字も、女手おんなで
の仮名も、この上なく見事に存分にお書きになります。お側に人も少ないので、女房二、三人に墨をお磨らせになります。由緒のある古い歌集の歌など、これはどうだろうかと、お選び出しなさるのに、相談相手になれそうな女房だけが控えております。 御簾みす
をすっかり上げて、脇息きょうそく
の上に草子を置き、お部屋の端近な所に、くつろいだお姿で、筆の端をくわえて、あれこれ考えていらっしゃる御様子は、いつまで見ていても見飽きないほどのお美しさです。白や赤などの紙は、墨色がはっきり目立つので、筆を取り直し、改まって注意をなさりながらお書きになります。そのお姿まで、見る目のある人なら、ほんとうにすばらしいと感嘆せずにはいられないでしょう。 「兵部卿の宮がお越しになりました」 と女房が申し上げましたので、源氏の君は驚いて、すぐ御直衣をお召しになり、お座布団をもう一つ取り寄せて、そのままそこへ宮を招じ入れ舞ます。 この兵部卿に宮も、たいそうお美しくて、寝殿の南の階段を、見るからに格好よく上っておいでになります。御簾の中でも女房たちがそのお姿を覗のぞ
き見み しております。 改まってお二人が礼儀正しく御挨拶なさいます御様子も、この上ないお美しさです。源氏の君は、 「所在なく引き籠っていて、たまらないほど退屈しきっておりました。よい折にようこそお越し下さいました」 と、歓迎なさいます。宮は、先日源氏の君に御依頼されたあの草子を、供人に持たせてお越しになったのでした。その場で早速御覧になりますと、大して能筆というほどでもないのですが、たいそうすっきり垢抜けた感じに書きこなしていらっしゃいます。そこが宮のお筆の長所なのでしょう。歌も平凡なのはさけて、殊更に変わった技巧の古歌ばかりをお選びになって、一首をさんぎょうほどに、ほとんど仮名で形よくお書きになっていらっしゃいます。 源氏の君はこれを御覧になってびっくりなさいました。 「これほどお上手とは存じませんでした。わたしなどはもう、筆を折ってしまわなければ」 とくやしがっていらっしゃいます。兵部卿の宮は、 「こうしたお上手なお歴々の中にまじって、臆面もなくかくのですから、わたしもこれで相当なつもりですよ」 などと冗談をおっしゃいます。 源氏の君のお書きになった草子も、お隠しになるわけにもいかないので、取り出されて、お互いに御覧になります。唐の紙のひどくこわごわしたのに、草仮名をお書きになったのが、ひときわすばらしいと、兵部卿の宮は御覧になりますが、また、高麗こま
の紙で、きめ細かでやさしくあたたかな感じの、色も地味めで、しっとりと上品なものに、おおらかな感じで平仮名を、端正に心をこめてお書きになっているのも、たとえようなくすばらしく見えます。 兵部卿の宮は感動の余り、涙さえ、水茎みずくき
の跡に沿って流れるような気持がして、いつまでも見飽きる時がなさそうに思われます。その上にまた、わが国の紙屋院かみやいん
で漉す いた色紙の、はなやかな色をしたのに、草仮名で歌を奔放に散らし書きにされたのは、限りない見事さです。型にとらわれず、いかにも自由でのびのびしていて、やさしい魅力もあり、宮はいつまでも見ていたいので、他の方々の草子には目もおくれになりません。
|