〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/09 (火)

梅 枝 (四)

月が昇りましたので、お酒を召し上がりながら、昔の思い出話などをなさるのでした。おぼろに霞む月の光が奥ゆかしいところに、雨の名残の風が少し吹いて紅梅の もなつかしくただよい、御殿のあたりに言いようもなくかぐわ しい薫物の香が匂い満ちて、人々はうっとりと、はなやいだ気分になります。
蔵人くろうど の詰め所の方でも、明日の管絃のお遊びの練習に、お琴に糸をかけたり をつけたりして、殿上人でんじょうびと などがたくさん集まり、美しい笛の音もそこここに聞こえます。
内大臣家の柏木の中将や、弁の少将なども、参上の御記帳だけで退出しようとするのを源氏の君がお引止めになって、お琴などをお取り寄せになります。
兵部卿の宮のお前には琵琶でびわ を、源氏の君にはそう のお琴をさしあげて、柏木の中将は和琴わごん をいただき、はなやかな音色に弾きはじめますと、合奏の響きがたいそう快く聞こえます。
夕霧の中将は横笛をお吹きになります。今の季節にかなった春の調子で、天にも響くばかりに澄んだ音を吹きたてます。弁の少将が、拍子を取って、催馬楽さいばら の 「梅が 」 を謡いだした様子も、たいそう風情があります。まだ幼少だった頃、韻塞いんふた ぎの席で、 「高砂たかさご 」 を謡ったのが、この方なのでした。
兵部卿の宮も源氏の君も横から一緒にお謡いになったりして、改まったお催しではないものの、風流な一夜のお遊びでした。
兵部卿の宮がおさかずき を源氏の君にさし上げる時、

うぐひす の 声にやいとど あくがれむ 心しめつる 花のあたりに
(前から心惹かれている 紅梅の花のあたりに まるで鶯のようないい声で 「梅が枝」 うぃ謡う声を聞くと いっそうわたしの心も上の空になる)
「<千代ちよ ぬべし> の古歌のように千年も過ごしてしまいそうです」
と申し上げますと、源氏の君は、
色も も うつるばかりに この春は 花咲く宿を からずもあらなむ
(花の色も香りも あなたに染みつくほど 今年の春こそは 花咲くわが家へ絶えず お越しになるように)
とお答えになるのでした。
盃を柏木の中将に源氏の君がお廻しになると、それを受けて、次は夕霧の中将にすすめます。柏木の中将が
鶯の ねぐらの枝も なびくまで なほ吹きとほせ 夜半よは笛竹ふえたけ
(鶯のねぐらにしている 梅の枝もたわむまで あなたの笛竹を 夜通し吹き美しい音の限りを 朝まで聞かせてほしい)
と詠みますと、夕霧の中将が、
心ありて 風の くめる 花の木に とりあへぬまで 吹きやよるべき
(風さえ気をつけて 花を散らすまいと 避けて通るらしいこの梅の木に どうぢて笛の音を無闇に 吹き寄せるべきでしょうか)
「花を散らすのは、思いやりのないことですよ」
とおっしゃるので、みんながお笑いになります。弁の少将が、
かすみ みだに 月と花とを へだてずは ねぐらの鳥も ほころびなまし
(せめて霞がたなびかないで 月と花の間を心なくへだてなければ ねぐらの鳥も月光の明るさに 朝が来たとまちがえて さえず りだすことでしょうに)
と詠みました。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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