〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/08/02 (火)

真 木 柱 (十四)

螢兵部卿の宮は、帝のお前の管絃の御遊びにたまたま御参列していらっしゃいましたが、お心も岩の空で、玉鬘の君のお部屋のあたりが気になって仕方がないので、とうとうこらえかねてお手紙をさしあげられました。
髭黒の大将は近衛府の詰め所にいらっしゃいましたので、女房は、大将からのお手紙のように見せかけて、お取次ぎいたします。玉鬘の君は大将からだとばかり思って、しぶしぶそれをご覧になりました。

深山木みやまぎはね うちかはし ゐる鳥の またなくねたき 春にもあるかな
(深山の奥の梢の上に 仲よく羽を重ねあって 寝ているような あなた方お二人が この上もなくねた ましい春です)
「その鳥のさえず る声も、気になりまして」
とあります。玉鬘の君は宮が顔を赤らめ、お返事のしようもなくて困っていらっしゃるところへ、帝がお越し遊ばしました。
月光の明るさの中に、帝のお顔はたとえようもないほどお美しくて、あの源氏の君の御様子と、ただもう何から何までそっくりでいらっしゃいます。こんな美しいお方がこの世にもう一人おいでになろうとはと、玉鬘の君は感じ入っていらっしゃいます。源氏の君のお気持ちはたいそう深いとはいえ、義父の立場で恋をしかけたりして厭な悩みがつきまとっていましたけれど、帝のお心には、決してそんなふに嘆き悩まれる心配はある筈もありません。
帝はたいそうお優しく、玉鬘の君が意外な結婚をしてしまったことへの恨み言を仰せになります。玉鬘の君は顔も上げられない恥ずかしい思いに、扇で顔を隠して、御返事も申し上げられないのでした。
「不思議に黙っていらっしゃいますね。今度の三位さんみ の叙位のkとなどでも、わたしの気持ちはよくお分かりだろうと思っていたのに、まるで何も分からないような顔をしていらっしゃるのは、そういう御性分だったのですね」
と仰せになって、
などてかく はひあひがたき 紫を 心に深く 思ひそめけむ
(どうしてこうも 遭うことのむつかしい 三位のしるしの紫の衣の あなたをこんなにも心に深く 思いそめてしまったのか)
「所詮は、深い仲になれない二人の間なのでしょうか」
と仰せになる御様子が、たいそう若々しく最高のお美しさで、こちらが恥ずかしくなるようです。
けれども、帝と申し上げても、源氏の君とどこが違っているかと思うほどよく似ていらっしゃるのに心を静めて、お返事申し上げます。宮仕えしたばかりで何の年功もないのに、今年位階を三位にしていただいたお礼の心を詠んだものでしょうか。
いかならむ 色とも知らぬ 紫を 心してこそ 人は染めけれ
(どういうわけで こういう三位の紫の色を いただいたものか 深いおぼ し召しからだったとは 一向に存じませんでした)
「只今からは、そのつもりでお仕えさせていただきます」
と申し上げますと、帝はにっこりなさって、
「その今から、分かってくださっても、もう何の甲斐もありません。わたしの訴えを聞いてくれる人があったら、その人のこそ、わたしの気持ちが無理かどうか聞きたいものですよ」
とたいそうお恨みになる帝の御様子が、ほんとうに御誠実らしく、どうしていいかわかりませんので、困って、いたたまれないほどになり、これからはもう、愛想の宵そぶりもお見せすまい、まったく男女の間柄というものは厄介なものなのだと思います。それからは、わざと生真面目な堅苦しい様子で控えていらっしゃるものですから、帝も思うままに色めいた御冗談もお口になさいません。しのうちだんだん宮仕えにも馴れて、態度も和らぐだろうと、お思いになるのでした。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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