〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/07/28 (木)

真 木 柱 (五)

髭黒の大将は、玉鬘の君が宮中に出仕なさることを心配して、気を んでいらっしゃいましたが、宮中に出たついでに、そのまま自分の邸に退出させてしまおうという計画を思いつかれました。そこでただほんのしばらくの出仕だけを許しておあげになります。
大将はこんなふうに人目を忍んで女の許にお通いになることなど、これまで経験したことがなかったので、何かと気づまりのあまり、女君を早く迎えようと、御自分のお邸を修理して内装も整えられます。長い年月、北の方の御病気で荒れるにまかせてほこり に埋もれさせたまま、捨てておかれたお部屋の内装や設備など、尚侍の君を迎えるため、すべてに亘って格式を高くして、改造工事を急がれます。
北の方が悩み悲しんでいらっしゃるお心もお察しにならず、可愛がっておられたお子たちも、今では目にも入らない御様子です。もともともの柔らかで、じょう が深く思いやりのある人であったら、あれやこれやにつけても、相手にとって恥じになるようなことは思いやって、気を遣うものですが、この大将は融通のきかない、一徹な御性分なので、人の気持を傷つけるような言動が多いのでした。
北の方は、人より劣っていらっしゃるようなことはありません。そのお人柄も、あのように高貴な式部卿しきぶきょうみや という父君が、並々ならず大切に御養育になりましたので、世間からも重んじられ、御器量などもすぐれてお美しかったのですが、以上に執念深いもの に取り かれてから御病気になり、ここ長年、常人のようでもいらっしゃいません。正気を失われる時が度々おありなのです。自然御夫婦仲もすっかり疎遠になられてから長くなります。
けれども、れきっとした正室としては、ほかに並ぶ人もなく、大将はこの方だけを大切に扱っていらっしゃいました。
ところが今度、珍しくもお心を移された玉鬘のきみが、並一通りではないお美しさで、何事も人に抜きん出ていらっしゃるだけでなく、それよりも更に、あの、誰もが疑って臆測していた源氏の君との怪しい関係までも、潔白を通されたことが証明されましたので、普通ならとても難しいことをよく守られたと感動され、ますます強く愛情がつのられたのも、もっともなことでした。
北の方の父式部卿の宮がこのことの次第をお聞きになられて、
「今となっては、そんな現代風の派手な新しい女を迎え入れてちやごやしている邸の片隅に、不体裁にすがりつき同居なさるのも、外聞の悪いことだろう。わたしの生きている限りは、世間の物笑いにされてまで、おとなしく夫の言いなりにならなくても過ごしていかれましょう」
とおっしゃって、御殿の東のたい をきれいに整えて、北の方をお移ししようとお考えになり、そのようにことをおすすめになります。北の方は、
「親のお側とはいえ、いったん結婚して、人の妻となった身で、今更夫に捨てられ、おめおめ実家に出戻って、父宮にお顔を合わすのは」
と、思い悩んでいらっしゃいますうちに、ますます御気分も狂おしくなって、ずっと病床についていらっしゃいます。
この方は生まれつき、もの静かで性質がよく、子供のようにおっとりと無邪気なお方なのですが、時折、物の怪のため正気を失われて、人に嫌われても仕方のないような振舞いをなさるのでした。お部屋などもひどく乱雑で、美しく身じまいなさることもなく、異様な様子で、鬱々と引っ込みがちに暮していらっしゃいます。
玉を磨きたてたようなきらびやかな玉鬘の君のお部屋を見馴れた髭黒の大将の目には、見るに堪えませんけれど、長年連れ添った愛情は、急に変わるものでもありませんあkら、お心の中では、ほんとうに可哀そうだとつくづく思っていらっしゃいます。
「昨日今日結婚した、ほんの浅い夫婦仲でさえ、相応な身分の人たちになれば、皆お互いに辛抱しあってこそ、添い遂げるのですよ。あなたはほんとうにお体も苦しそうにしていらっしゃるから、言いたいことも言い難いのです。長の年月お約束してきたではありませんか。ふつうの人と変わった御病気のあなたを、最後までお見捨てせずに添い遂げようと、今までずいぶんこらえて過ごして来たのに、あなたはわたしのようにはとても辛抱しきれないというお考えから、分かれようなどと見捨てられるのですね。幼い子供たちもいることですし、何があろうとあなたを生涯粗末にはしないと、前からずっと言いつづけているのに、取り乱した女心から、あなたはこんなに恨み続けていらっしゃる。一通り、事が落ち着いて、それをすっかり見届けないうちは、お恨みになるのも、もっともなことでしょうが、ここはわたしに任せて、もうしばらくの間、我慢して結果を見届けてください、父宮が噂をお聞きになり、わたしをお憎みになられて、思い切りよくさっさとあなたをお引き取りになろうとお考えになって、別れさせようとおっしゃるのは、かえって実に軽はずみなことです。本気でそうお考えになっていらっしゃるのかな。それともちょっと、わたしをこらしめてやろうというお考えなのだろうか」
と笑いながらおっしゃいます。それが北の方には、いかにもいまいましく、腹にすえかねて、いっそう心を傷つけられた感じです。

源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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