〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/07/27 (水)

真 木 柱 (四)
ようよう情愛のこまやかなお話しになって、源氏の君はそばの御脇息きょうそく に寄りかかられて、几帳の中を少しのぞ きながら、お話しなさいます。玉鬘の君がたいそう美しく面痩おもや せていらっしゃるような御様子を見飽きず、前より弱々しく可憐さも加わってお見えになるにつけても、こんな女をひかの男の手に放してしまったとは、あまりにもひどい気まぐれであったと、口惜しくてなりません。
おりたちて みは見ねども わたり川 人の瀬とはた ちぎ らざりしを
(あなたと愛を交しあう 深い仲ににはならなかったが あなたが三途の川を渡る時 ほかの男に手をとらせようなど 約束はしなかったものを)
「こんなことは思ってもみなかったことでした」
と鼻をかんで涙をまぎらせていらっしゃる御様子も、やさしくしみじみとした情趣があります。女君はお顔を隠して、
みつせ川 わたらぬさきに いかでなほ 涙の水脈みを の 泡と消えなむ
(三途さんず の川を渡らぬ前に どうかしてぜひにも わたしの涙の川に浮ぶ 泡の消えるように 死んでしまいましょう)
とつぶやかれます。源氏の君は、
「涙の川で泡になって消えるなどとは幼いお考えですね。それにしても三途の川は、あの世へ行くにどうしても通らなければならない道ですから、せめてあなたのお手先だけでも引いて、お助けしたいものです」
とほほ笑まれて、
「ほんとうのところ、あなたにも思い当たっていらっしゃることもおありでしょう。お話しにならないわたしの間抜けさ加減も、あまた安心な点も、この世にまたとないほど珍しいということを、いくら何でもお分かりになっただろうと、頼もしく思っているのですよ」
とおっしゃいます。玉鬘の君は、いかにも切なそうに、とても聞き辛がっていらっしゃるので、源氏の君は可哀そうになられて、ほかの話に言いまぎらわされて、
「帝がやはり出仕するようにと仰せになるのも、このままでは畏れ多いことですから、やはり、ほんの少しでも参内なさるようにしましょう。髭黒の大将が自分のものとして、あなたをお邸に取り込んでしまってからでは、尚侍として宮中に出仕なさることもむずかしくなるのが、夫婦仲というものでしょう。わたしが最初、あなたについて考えていたもくろみは、すっかり手違ってしまったけれど、二条の内大臣は、この結婚に御満足のようですから、わたしも安心なのです」
まどと、こまごまお話しなさいます。
玉鬘の君はしみじみと身にしみて、また気恥ずかしくも思いながら、いろいろとお聞きになっては、ただ泣き濡れていらっしゃるばかりです。こんなにまで悲しがっていらっしゃる御様子の痛々しさに、源氏の君は、感情に任せてみだらめいた振舞いをなさることも出来ず、ただ宮仕えの身の処し方や、心構えについてお教えになります。髭黒の大将のお邸にお移りになることは、すぐにはお許しになりそうもない御様子です。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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