御婚礼の儀式は格別に立派にして、源氏の君は大将を婿君として、丁重にお世話なさいます。 髭黒の大将は、一日も早く自分のお邸に玉鬘の君をお移ししたいと思い、その支度を急いでなさいますけれど、源氏の君は、軽率に気を許して早々にお移りになっても、あちらには、玉鬘の君のことを快くお思いになるはずのない北の方が待ち受けていらっしゃることでもあり、それでは玉鬘の君が可哀そうなので、それにかこつけられて、 「やはり、まあ、ゆっくりとここに落ち着いて、何事も穏便にして、目立たぬように振る舞い、どちらからも、そしりや恨みを受けないようになさるのがいいですよ」 と御注意申し上げます。玉鬘の君の父内大臣は、 「宮仕えするよりも、かえってこの方が安心だろう。特に親身になって、心づかいをしてくれる後見人もいない女が、なまじわずかばかりの君寵を受けるような物好きな宮仕えなどして、苦労ばかりするのでhないかと、とても心配していたのだ。あれをいとしいと思う気持はあっても、弘徽殿
の女御にょうご がすでに先にいらっしゃるのを差し置いて、わたしの立場では、どう面倒を見てやれようか」 などと、陰でおっしゃっておいででした。 たしかにいくら帝みかど
にお仕えするといっても、ほかの女御、更衣こうい
の方々より軽く見られ、ほんのたまにしか帝のお情けにあずかられなくて、重々しい御待遇もしていただけないとしたら、軽率な出仕だったということにもなるでしょう。 三日みか
の夜よ のお祝いのお手紙を、玉鬘の君の親代わりとして、源氏の君が新郎新婦とお取り交しになった御様子を、内大臣は人伝ひとづて
にお耳にされまして、源氏の君のお心づかいを、はじめて畏れ多く有り難く、またとない御厚意として感謝なさるのでした。 このように、せいぜい表沙汰にならないように秘密になさった御縁組みでしたけれど、自然におもしろおかしい話題として、世間に伝えられ、次から次へとひろがっていき、世にも珍しい話として、ひそひそ語られたのでした。 帝もその話をお聞きになりました。 「残念ながら、ついにわたしとは縁がなかったのだろう。しかし一旦、尚侍ないしのかみ
として出仕を思い立たれたことだし、やはり参内さんだい
されたらどうか。女御や更衣といったような入内じゅだい
のつもりなら、結婚した今は断念するのも仕方がないが」 などと仰せられました。 |