しばらくは、世間の噂にならないようにと、このことはつとめて隠していらっしゃいましたが、口さがのないのは世間の常でした。自然に話が洩れ伝わって、だんだん評判になってきたのを、あのどうしようもない近江
の君きみ が耳にしてしまいました。弘徽殿の女御の御前に、柏木の中将や弁の少将が伺候しこう
していらっしゃるところへ、近江の君が現れて、 「内大臣はまた姫君がお出来になったとか。何とまあ、すばらしいこと。どんなお方が、二人の大臣にちやほやされているのかしら、噂に聞けば、その人だって、身分の低い女が生んだというじゃないの」 と、あさはかに言いますので、女御は聞き苦しくお思いになり、ものもおっしゃいません。柏木の中将が、 「あちらの姫君は、お二方からそのように大事にされるだけのわけがおありなのでしょう。それにしても、誰に聞いたことを、こんなふうにだしぬけに口になさるのですか。口うるさい女房などが聞きつけたら困るじゃありませんか」 と、おっしゃると、 「ええ、うるさい。何もかも聞いているのよ。尚侍ないしのかみ
になるんですって。わたしが宮仕えに、こちらへ急いでまいったのは、そんなお引き立てもあるかと思ったからです。普通の女房たちだってしないような汚いことまで、自分から進んでお仕えしてきたのです。それなのに女御さまは、あんまりじゃありませんか」 と、恨み言を言いますので、誰もみな苦笑いして、 「尚侍の空ができたら、わたしこそお願いしたいと思っているのに」 「ずいぶん非常識な望みを持ったものです」 などとおっしゃいます。近江の君はそれを聞くとますます腹を立てて、 「御立派なあなた方のような御兄弟に中に、わたしのようなしがない者はお仲間入りするんじゃなかった。柏木の中将ったら、ほmmとにひどいお方だわ。自分からおせっかいにお迎えにいらしたくせに、わたしを馬鹿にしてあざけて笑い物にしれいられ、ここはなまじっかな者は、とても居たたまれない御殿だわ。おお怖こ
わ、おお怖わ」 と言いながら、後ろへにじり退いて、こちらを睨にら
んでいます。憎げもないけれど、いかにも腹立たしそうに目尻を吊り上げているのでした。 柏木の中将は、近江の君がこう言って怒ることも、実際自分の失敗からと思いますので、神妙な顔付きで聞いていらっしゃいます。弁の少将は、 「こちらでもあなたがまたとないほどよくお勤めしていられるのを、女御もどうして疎おろそ
かにお思いでしょう。とにかく気持を落ち着けなさい。堅い岩も沫雪あわゆき
のように溶かしてしまわれそうなななたの見幕ですから、きっとそのうち、立派に望みをかなえる時もあるでしょう」 と、にやにやしながらおっしゃいます。柏木の中将も、 「天あま
の岩戸いわと を閉ざして、中に籠っていらっしゃる方が無難でしょう」 と、おっしゃって、その場を立ってしまいましたので、近江の君はほろほろと泣いて、 「この兄弟の方たちまでが、皆冷たく当たられるのに、ただ女御さまだけがおやさしいので、わたしはここにお仕えしているのです」 と言って、その後も実にこまめにいそいそとして、下働きの女房や女童めわらわ
などもいやがってしないような雑役まで、あちらこちらと身軽く飛び廻って、走り歩きながら、懸命に忙しく勤めています。 事あるごとに、 「尚侍ないしのかみ
にわたしをお願いして下さい」 と、うるさく催促しますので、女御も呆れ果てて、いったいどんなつもりでこんなことを言っているのかとお思いになり、何もおっしゃれないのでした。
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