〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/07/18 (月) 

行 幸 (十二)

内大臣は、はじめはそれほど乗り気ではなかったのに、あまりに思いがけない話をお聞きになってからは、姫君に早く会いたいとずっとお心にかかっていられたので、その日は早めに六条の院にお出かけになりました。
裳着の式のお支度など、しきたり以上に、目新しいようにしていらっしゃいます。いかにも源氏の君が格別お心を込めて御用意くださった立派な儀式だと、内大臣は御覧になります。もったいないことだと思うものの、何かこのお心尽くしを異様なふうにお感じになもります。
その夜の十時頃、内大臣を御簾の中へお入れいたしました。形通りの儀式の飾りつけはもとより、簾中のお座席も、またとなく立派にお整えになって、御酒肴をさしあげます。御燈火も慣例よりは少し明るくして、お顔が見えるように、気を利かせたおもてなしをしておあげになります。
内大臣はたいそう姫君のお顔を見たいとお思いになりますけれど、今夜すぐではあまりに性急なようなので、裳の紐をお結びになる間も、こらえきれないような御様子です。源氏の君は、
「今夜は、昔のことは一切触れませんので、あなたも何の仔細も御存じないようお振舞い下さい。事情を知らぬ人々の眼をとりつくろい、やはり普通の作法通りにお願いします」
と、おっしゃいます。内大臣は、
「実際、まったく何と申し上げてよいやら」
と、おっしゃって、源氏の君が内大臣にお盃をさし上げる時に、
「この上もない御親切の御恩はお礼の申し上げようもないとは思いながらも、今までこのようにお隠しになっておかれたお恨みも、一緒に申し上げないではおられません」
とおっしゃいます。

恨めしや 沖つ玉藻たまも を かづくまで 磯がくれける 海人あま の心よ
(この恨めしいことよ 磯がくれの海人あま のように 裳着の日の今日まで よそに隠れていた わたしの娘の心根が)

と、おっしゃって、やはり涙をこらえることが出来ず、うなだれていらっしゃいます。
玉鬘の姫君は、ほんとうに気おくれがするほどすばらしい御風采の大臣が、お二人もお揃いでいらっしゃるので、気はずかしさにあまり、とても御返歌はお出来になれません。そこで源氏の君が代わって、

よるべなみ かかる渚に うち寄せて 海人あま もたづねぬ 藻屑もくず とぞ見し
(よるべもなく 流れついて来たので 海人さえ探してくれない もくずのようなあわれな 身の上と思っていたのです)
「ほんとうにごむりな、思いがけないお恨み言です」
と申し上げますと、内大臣は、
「たしかにごもともです」
と、それ以上は申し上げる言葉もなくて、御簾の外へお出になりました。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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