〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/07/16 (土) 

行 幸 (十)

このお話しがあったのは、二月の上旬のことでした。二月十六日が彼岸の初めで吉日でした。この前後には、ほかに吉日がないと、陰陽師おんみょうじ が占いましたし、大宮もいくらかお加減もよくおなりなので、源氏の君は裳着の式の支度を急いで御準備なさいます。
いつものように玉鬘の姫君のお部屋をお訪ねになり、内大臣にお打ち明けになった時の様子など、たいそうこまごまとお話しして、また御裳着の日の心得をあれこれとお教えになります。行き届いたそのおやさしいお心遣いは、実の親といっても、これほどではないだろうと感謝なさりながらも、やはり実の父君とお会い出来るのは、たいそう嬉しく思われるのでした。
こういうことがあって後、源氏の君は夕霧の中将にも、内々に、こうしたほんとうのわけを話してお聞かせになりました。中将は、
「おかしなことも色々あった。しかし、事情がわかってみれば無理もない」
と、いろいろ思い当たり、納得がゆくのでした。あの自分に冷たい人の面影よりも、こちらの玉鬘の姫君のお美しさが格段に思い出されて、全く気づかなかった自分のうかつさが、間抜けに思われます。けれども、こちらに心を移すなど、とんでもない間違ったことだと反省なさるところは、世に珍しい誠実さというものでしょう。

こうしていよいよ御裳着の当日になり、三条の大宮のところから、内々にお使いがみえました。御くし の箱など、急なことでしたが、あれこれとたいそう美しく御用意なさって、お手紙には、
「お祝い申し上げたくても、縁起でもない尼姿ですから、今日は御遠慮して引き籠っておりますが、それにしましても、わたしの長生きのためし にだけはあやかっていただくということで、許していただけるかと存じまして、感動して何もかも承りましたあなたのお身の上について、それならわたしの孫に当られると名言いたしますのも、源氏の大臣の手前、いかがかと存じまして、とにかくあなたのお気持におまかせしましょう」

ふたかたに いひもてゆけば 玉櫛笥たまくしげ  わが身はなれぬ かけごなりけり
(源氏の君と内大臣の どちらの縁からしても あなたはわたしと深い縁 玉くしげと懸籠が 決して離れないように)
と、たいそう古風な字で、震えるお手でしたためてあります。源氏の君も、ちょうど西のたい にいらっしゃって、裳着の式のことであれこれ指図して、手筈てはず を取り決めていらっしゃる時でしたので、そのお手紙を御覧になって、
「何とも古風な御文面だけれど、痛々しいですね、この御筆跡は、昔はお上手にお書きになられたのだが、年をとるにつれて、不思議に字まで老い込んでいくもののようだ、何ともお気の毒におのお手の震えていらっしゃること」
など、繰り返し御覧になって、
「よくもまあ、玉くしげにこだわってお詠みになったものだ。三十一文字みそひともじ の中にほとんど玉くじげの縁語ばかりで、玉くしげに無縁な言葉がわずかしかないというのは、大したお腕前ですよ」
といっしゃって、そっと笑っていらっしゃいます。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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