このお話しがあったのは、二月の上旬のことでした。二月十六日が彼岸の初めで吉日でした。この前後には、ほかに吉日がないと、陰陽師
が占いましたし、大宮もいくらかお加減もよくおなりなので、源氏の君は裳着の式の支度を急いで御準備なさいます。 いつものように玉鬘の姫君のお部屋をお訪ねになり、内大臣にお打ち明けになった時の様子など、たいそうこまごまとお話しして、また御裳着の日の心得をあれこれとお教えになります。行き届いたそのおやさしいお心遣いは、実の親といっても、これほどではないだろうと感謝なさりながらも、やはり実の父君とお会い出来るのは、たいそう嬉しく思われるのでした。 こういうことがあって後、源氏の君は夕霧の中将にも、内々に、こうしたほんとうのわけを話してお聞かせになりました。中将は、 「おかしなことも色々あった。しかし、事情がわかってみれば無理もない」 と、いろいろ思い当たり、納得がゆくのでした。あの自分に冷たい人の面影よりも、こちらの玉鬘の姫君のお美しさが格段に思い出されて、全く気づかなかった自分のうかつさが、間抜けに思われます。けれども、こちらに心を移すなど、とんでもない間違ったことだと反省なさるところは、世に珍しい誠実さというものでしょう。
こうしていよいよ御裳着の当日になり、三条の大宮のところから、内々にお使いがみえました。御櫛くし
の箱など、急なことでしたが、あれこれとたいそう美しく御用意なさって、お手紙には、 「お祝い申し上げたくても、縁起でもない尼姿ですから、今日は御遠慮して引き籠っておりますが、それにしましても、わたしの長生きの例ためし
にだけはあやかっていただくということで、許していただけるかと存じまして、感動して何もかも承りましたあなたのお身の上について、それならわたしの孫に当られると名言いたしますのも、源氏の大臣の手前、いかがかと存じまして、とにかくあなたのお気持におまかせしましょう」
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