〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/07/15 (金) 

行 幸 (九)
源氏の君はその話のついでのように、玉鬘の姫君のことを、それとなくお話しになりました。内大臣は、
「それはまた、何と思いがけない。実に不思議な感動的なお話しを伺うものです」
と、まず涙にむせばれながら、
「あの当時から、どうなったことかと心配して行方を探していたことは、何の話のついでだったか、悲しみに堪えず、ちょっとお耳に入れたような気がいたします。今、こうしてわたしも人数ひとかず になってみますと、ろく でもない子供たちが、あちらこちらにいて、さ迷っているのを引き取っては、体裁が悪く、みっともないと思いながらも、またそんな子供でも、大勢並べてみますと、やはりそれなりに愛情も湧き可愛く思われるのです。そんな折にも、必ずあの娘のことが思い出されるのでした」
と話されるついでに、あの昔の雨夜の物語に、あれこれ、情事の打ち明け話しや女の品定めをしたことを思い出されて、泣いたり笑ったり、お二人ともすっかりくつろいで、打ち解けておしまいになりました。
夜もたいそう けましたので、お二人ともお帰りになります。
「こうしてお会いしたばかりに、遠くなってしまった昔の古い話しが思い出されて、恋しさが忍びきれず、帰っていく気持にまったくなれません」
と、おっしゃって、決して気弱くはいらっしゃらないものの、泣き上戸なのか、昔話に泣き沈み、しおれていらっしゃいます。
大宮はまた大宮で、亡き姫君のことをお思い出しになり、昔よりもますますはなやかな源氏の君の御様子や御威勢を拝しますと、亡くなった人のことがたまらなく悲しくて、涙をとどめることが出来ず、しおしおとお泣きになります。その涙に濡れる尼衣のお姿は、またtく格別の風情がありました。
こんなよい機会だったのに、夕霧の中将の事は、源氏の君は最後までお口に出されませんでした。
内大臣のなさり方に、配慮が足りないと思い込んでおいでになる節があるので、今更口出しするのも外聞が悪いと思って、おやめになったのでした。また内大臣の方は、源氏の君のそれに触れない御態度に、自分から言い出しにくくて、そのままになったのです。それがわだかまり、さすがに胸の晴れぬ思いなのでした。内大臣は、
「今夜もお邸までお送りすべきなのですが、突然で、お騒がせしてもと思って遠慮します。今日の御返礼には、日を改めて参上させていただきます」
と、申し上げますと、源氏の君は、
「それでは、大宮の御病気もお悪くはないように見えますから、前に申し上げた裳着の日に、きっと間違いなくおいで下さるように」
と、お約束なさいます。
お二方とも御機嫌よく、それぞれお帰りになります。そのお供廻りの人や車の物音のざわめきが、物々しく威風堂々としていました。お供の公達は、
「何があったのだろう。滅多にない御対面にお二人ともすっかり御満悦の御様子だったのは、また、何か源氏の君から位などのお譲りがあるのだろうか」
などと見当外れな勝手な想像をしています。まさか玉鬘の姫君のお話しなどとは思いもよらないにでした。
内大臣は、突然の話なので、どうもおかしいから事情をよく知りたいと思う一方、不安な気持もして、
「すぐお言葉に甘えて娘を引き取り、親ぶった顔をするのも具合が悪いだろう。源氏の大臣が姫君を探し出され、引き取られたそのときの事情を想像してみると、おそらく、そのまま手もつけす放っておかれる筈はあるまい。ほかの御立派な女君たちへの遠慮から、公然とその方々と同列にはお扱いにならず、といって情人のままでおくのも厄介なことが多く、世間の取り沙汰も気になさって、自分にこうしてお打ち明けなさるのだろう」
と、お考えになります。内大臣には、そんな姫君の扱いは腹にすえかねることですが、
「そのことが姫君のきず となることだろうか。こちらから進んで源氏の大臣のお側に置いていただいたとしても、何の世間体の悪いことがあろう。しかしその姫君が、宮仕えをなさることにでもなったら、弘徽殿の女御などが、何とお思いになるか、それもおもしろくない」
と、お考えになります。
「とにかく、源氏の大臣のお考えでお決めになったことには、背くわけにはいくまい」
と、あれこれ思案なさるのでした。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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