〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/07/11 (月) 

行 幸 (六)

昔や今のお話しをあれこれなさいますついでに、源氏の君は、
「内大臣が、毎日しげしげとお見舞いにいらっしゃるでしょうが、こうしたついでに、お逢い出来ると、どんなに嬉しいことでしょう。何とかしてお耳に入れたいことがありますのに、これという機会がなくては、立場上、なかなかお会いする折がなくて、気にかかりながらまだお話しもしておりまでせん」
と申し上げます。
おほやけ のお勤めが忙しいのか、孝行心が浅いのか、あの人はそれほど見舞いにも来てくれません。そのお話しというのは、どういうことなのでしょう。夕霧の中将が恨めしそうにしていた一件もございますので、 『はじめのいきさつは存じませんけれど、今となっては無慈悲に仲をひき裂いてみても、いったん浮き名の立ってしまった噂を取り消せるものでもなし、かえって馬鹿げたことのように、世間の人も噂しているようだから』 などと、わたしにも言い聞かせるのですが、内大臣は昔からいったんこうと思ったことは決して後へ引かぬ性分なので、説得しても得心してくれないように思います」
と、夕霧の中将の話だとばかり思って話されます。源氏の君はお笑いになって、
「今更言っても仕方のないこととして、二人を許して下さるかもしれないと聞きましたので、わたしもそれとなく口添えしたこともありましたが、内大臣はたいそう厳しく当人たちをお叱りになったとのことえお聞きましたので、どうぢて余計な口出しをしてしまったのかと、ばつが悪く後悔したことでした。何事につけても、 『汚れ』 には 『清め』 ということもありますので、この場合でも、どうしてもと通りに、汚れた噂をきれいに洗いすすいで下さらないことがあろうか、と思いましたが、事実こうまで濁り果ててしまった後では、今更深くまで澄み清めてくれる水など期待出来ないのが、世間というものでしょう。何事によらず、世も末なるほど段々悪くなってゆきやすいようですね。内大臣のなさりようは、お気の毒なこととわたしは思っています」
などと、おっしゃってから、
「実は、内大臣がお世話なさるべき御関係の人を、思い違いから、わたしが偶然引き取っているのです。その当座は、そうした間違いを当人たちも教えてはくれず、わたしもまた、 いて真相を詮索することもせず、ちょうど子供も少ないこととですし、たとい親子というのが先方の口実であったにしても、さしつかえあるまいという気持で養育してまいりました。一向に親身な世話もしないままに月日が過ぎてしまったのです。それがどうしてお耳に入ったものか、帝からの仰せがございました。 『尚侍ないしのかみ として宮仕えする者がないと、内侍司ないしのつかさ の政務が乱れて秩序もつかず、女官にょかん なども公務を取り行うのに手がかりがなくて、乱脈になってしまうようだ。現在、宮仕えしている年寄りの典侍ないしのすけ 二人の外にも、相当する者たちが、それぞれ、その位置につきたがって申し出ている。さてその中から選ぶとなると、適当な者がいない。やはり家柄がよくて、当人も世間の声望も高く、自分の家の仕事を心配しないでよい人が、昔から尚侍になってきている。しっかししていて聡明な人物をという条件で選ぶのなら、そうした名門の出でなくても、年功昇進の例もあるが、さし当たって適任者がいないというなら、せめて世間の人望によって選ぼう』 と、内々にこの娘を尚侍にとのお言葉をたまわったのです。
一方、表向きの役職として、内侍司ないしのつかさ などの事務を扱い、整理するというようなのは、頼りなくて、軽々しくつまらないように思われていますが、決してそうとも限りません。ただ何事も本人の人柄次第で決まるのです。そう思って、宮仕えさせる気持にわたしが傾いてきましたので、本人に年齢などを尋ねましたところ、内大臣がお探しになってお引き取りになるべき人であったのがわかりました。
それでどうしたらいいものか、内大臣に相談して、今後のことをはっきりさせたいのです。何か機会がなくてはお目にかかれそうにもございません。早速こういう事情だったとお打ち明けするような手だてを、いろいろ考えまして、裳着の腰結のお願いに、内大臣にお便りをさしあげました。ところがこちらの御病気を口実に、お気が進まないふうに御辞退されました。たしかに折りも悪かったのだと、お願いの件は取り止めにしておりました。お見受けするところ、幸い御容態もおよろしいようでいらっしゃいますから、やはり折角こうと思い立ちました機会にと存じます。そのように内大臣にお伝え下さいませんでしょうか」
と申し上げます。大宮は、
「それは、それは。一体まあ、どうしたことだったのでしょう。内大臣の所では、いろいろと、子だと名乗り出てくる者を、厭がりもせずみんな拾い集めていられるようなのに、どういうつもりから、そんなふうに間違えてそちらへお頼りしたのでしょうね。ここ何年かの間に、あなたを親だと聞かされて、そうなったのでしょうか」
とおっしゃいます。源氏の君は、
「それにはわけがございます。くわしい事情は、いずれ内大臣もお聞き及びになりましょう。いかにも身分の賎しい者たちの間などに起こりそうなごたごたしたわずらわしい話ですから、内大臣に打ち明けましても、ふしだらな話のように人の口の端に上りそうなので、夕霧の中将にも、まだ事情は何も話してありません。誰にもお漏らしなさいませんように」
と、お口止め申し上げます。

源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next