〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/07/03 (日) 

野 分 (一)

秋好あきこの中宮ちゅうぐう の御殿のお庭に、秋の花をお植えになったのが、今年は例年よりも美しく見映えがします。さまざまな種類の草花を集め尽くして、その中に風情のある黒木や赤木の籬垣ませがき を、花の間に低く立てめぐらせています。同じ花なのに、枝ぶりといい、様子といい、その上に置く朝露や夕露の光までもありふれたものには見えず、玉かとなかりに光り輝いています。
わざわざ秋の野原のように造られた広々とした景色を眺めわたしますと、あの紫の上の御殿の、春の山の美しさもすっかり忘れてしまいそうになります。このお庭の爽やかな興趣に、魂までうっとりと漂い出すような思いがするのでした。
春秋の優劣を争う時に、昔から秋をひいきにする人の方が多かったのに、六条の院では¥、名高い春の御殿の花園の見事さに心から感銘した人々が、今はまたてのひら をかえすように心変わりして、秋のお庭の美しさに心を移してしまうありさまは、時勢におもねりなびく世の中の人の心そのままです。
秋好む中宮は、このお庭の眺めをお気に召して、お里住みの日がつづいていらっしゃいます。その間に、管絃のお遊びなどもなさりたいところですが、八月は亡き父君さき の東宮の御祥月しょうつき ですから、御遠慮なさいました。
その間に、秋の花の盛りも過ぎてしまいはしないかと、気になさりながら明し暮していらっしゃいます、ますます花の色は美しさを増して、あの花この花とお目を奪われるのでした。
そんなある日、野分のわき が例年よりも荒々しい勢いで吹きつのり、空の色もたちまち暗く変えてしまいます。花々強風にしおれるのを見ては、それほど秋の草花に深い愛着を抱かない人でさえ、まあ、ひどいと、気を み騒ぐくらいですから、まして中宮は、草むらの露の玉が風に乱れ散るのを御覧になっては、お気もそぞろに、ただおろろrとお案じなさるのでした。あの歌に詠まれた <大空におほふばかりの袖> は、春の花のためよりも、秋の空にこそほしいような有り様です。
日の暮れていくにつれ、物も見えないように吹き荒れる空が、言いようもなく気味が悪いので、御格子みこうし なども下してしまいましたから、中宮は花のことがたまらなく御心配で、お嘆きでいらっしゃいます。

源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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