常 夏
(十一) | 立派な四位や五位の人たちが恭
しくお供申し上げて、ちょっとどこかへお出かけになるにも、たいそうな御威勢でいらっしゃる内大臣をお見送り申し上げて、近江の君は、 「まあ、なんと、すばらしいお父上だこと。こういうお方の子でありながら、わたしはまt何とみすぼらしい小さな家で育ったことか」 と、言われます。五節ごせち
の君きみ がそれを聞いて、 「でもあんまり御立派すぎて、気後きおく
れしそうなお方ですわ。もっとほどほどの親御で大切に可愛がって育ててくれそうな人に、見つけ出されたらよろしかったのにね」 と言うのも、無理な話です。 「ほらまた、あなたって、人の言うことをぶちこわすのね。ほんとに失礼ね。内大臣の姫と決まったこれからは、わたしの話に友だちぶってさし出口しないでちょうだい。わたしは今にどうにでも運勢の開ける身の上ですからね」 と、腹を立てている顔つきは、親しみやすく愛嬌あいきょう
があって、調子に乗ってはしゃぎきっているところは、それはそれなりにおもしろく、大目に見て許せます。ただ、何分、田舎臭く、身分の低い下々の者の中で育ったので、ものの言い様も知らないのです。別に深い意味のない言葉でも声をゆったりともの静かに言えば、ふとそれを聞いても格別によく聞こえます。つまらない歌物語をするにしても、歌にふさわしい声の出し方をして、余情たっぷりに話し、聞き手にもっと後を聞きたがらせるyぷにして、歌の始めや終わりを聞きとれないくらい、かすかに口ずさんだりするのは、深い歌の意味など味あわないで、ちょっと聞く程度の場合には、おもしろいなと耳にとまるものです。 ところが、この近江の君の場合は、非常に深い内容の、由緒のあることを話していても、この早口では、立派な内容があろうとは思えないのです。その上思慮のない軽薄な上ずった声で、おっしゃる言葉といったら、ごつごつしていて訛なまり
がある上、気儘きまま でいい気になっていた乳母めのと
の懐で、育てられた癖がそのまま残っていて、態度もひどく無作法なのです。そのため品が下がります。といっても、全く箸はし
にも棒にもかからないというわけでもなく、三十一文字みそひともじ
の上の句と下の句が、うまく合わない腰折れ歌を、即座に次々と何首も詠んだりはなさるのです。 |
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