常 夏
(九) | 内大臣はお里帰りの弘徽殿の女御をお訪ねになったついでに、そのまま近江の君のお部屋の前に立ち寄られて。お覗
きになりますと。御簾みす を中から大きく外に張り出すように端近はしぢか
に坐って、五節の君というしゃれた若女房と、双六すごろく
を行っています。近江の君はしきりにもみ手をして、 「小賽しょうさい
。小賽」 と、相手に小さい目が出るようお祈りしている声が、非常な早口です。内大臣は、ああ、情けないとお思いになり、お供の人々が先払いの声をあげるのを手を振ってお止めになりながら、なおそのまま妻戸つまど
の細目に開いた隙間から、ちょうど襖ふすま
が開いている向うの部屋を覗き込まれます。五節の君も、また同じように勝ちたいとあせっていて、 「お返し、お返し」 と、言いながら、筒どう
をひねって、すぐには賽を振り出しません。心の中には色々な物思いもあるのかも知れないけれど、見た目には二人ともまったく軽薄な態度です。 近江の君の顔立ちはぴちぴちと活気があり、親しみやすくて、愛嬌あいきょう
もあります。髪も見事で欠点も少なそうですが、額がいやに狭いのと、声の上っ調子なのとで、台なしになっているのでしょう。 取り立てて美人だというのではないけれど、この人をどうしても赤の他人だと言い張るわけにもいかず、鏡の中の自分にたしかに似ていることをお認めになりますので、内大臣は何という宿縁かとうんざいなさいます。 「こうしてこの家におられても、何となく不似合いで落ち着かないというkとはありませんか。わたしはむやみに忙しくて、訪ねてあげることも出来ないのでね」 と、内大臣がおっしゃいますと、近江の君は例のあの早口で、 「こうしてここに居ますのに、何の不安がございましょう。長年お目にかかれなくて、どんなお方かとお会いしたかった父上の顔を、ここに来ても、始終拝見出来ないことだけが、双六によい目が出ない時のようなじれったい気がします」 と、申し上げます。内大臣は、 「まったくわたしには身のまわりの面倒を見る女房もあまりいないので、あなたにそうした役でもしてもらって、いつも見てあげたいと、かねがね思ったりもしたけれど、なかなかそうも出来なかったのでね。これが普通の召し使いなら、どんな人であろうと、自然に大勢の中に紛れて、その行動が一々、人の目にも耳にもとまらず、必ずしも注意を惹ひ
かれないので、当人は気も楽だろう。その場合でも、誰それの娘だとか、何々の子だとか、名の通った家の生まれとなると、親兄弟の面目を潰すような例も少なくないものです。まして」 と、言いさして黙ってしまった内大臣の御様子が、どれほど立派で奥ゆかしいものかも分からず、近江の君は、 「どういたしまして、そんな心配は全くありません。それは、人より立派に見られたいなど仰山に考えて御奉公しましたなら、窮屈でしょうけれど、わたしなどは便器掃除の樋洗ひすまし
の役でも何でもいたしましょう」 と、申し上げますので、内大臣はこらえきれずに、笑いだされます。 |
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