〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/30 (木) 

常 夏 (三)

月もない頃なので、軒先の燈籠とうろう に灯がともされました。源氏の君は、
「燈籠ではやはり灯が近すぎてかえって暑苦しい。篝火かがりび のほうがいいだろう」
と、おっしゃって人をお呼びになり、
「篝火の台を一つ、こちらへ」
と、お取り寄せになります。
風情のある和琴わごん がそこに置かれていたのをお引き寄せになって、掻き鳴らしてごらんになりますと、たいそう見事にりつ の調子に整えられていました。音色も非常によく響きますので、少しお弾きになって、
「こうした音楽などはおこの みでない方面のことかと、これまでお見くびりしていたのですよ。お見それしました。秋の夜の月の光が涼しく見える頃、あまり奥深くない部屋で、虫の音に合わせて和琴を掻き鳴らすのはなつかしくて、当世風のはなやかな音色のするものです。他の楽器と比べて和琴は、これといった変わった調子もなく、しまりのないものです。ところがこの楽器は、たくさんの楽器の音色や拍子を、そのままきちんと整えて演奏できる点が実に優れています。
大和琴やまとごと などとも呼んで、たよりなさそうに見せて、実はこの上もなく精巧に造られている楽器なのです。外国の音楽については広く知らない女たちにために、造られたものでしょう。どうせなら、あなたも心を打ち込んで、ほかの楽器に合わせて弾き、お稽古なさい。奥深い秘法といっても、それほど難しい手があるわけでもないのです。しかし本当にこれを上手に弾きこなすことは難しいのでしょうは。今では、和琴の上手さでは内大臣に肩を並べる人はいないのですよ。ただ、ほんの軽い同じすが掻きの音にも、和琴にはあらゆる楽器の音色が含まれ、通い合っていて、言いようもないほど美しく響きわたるのです」
と、お話しになります。玉鬘の姫君は、この頃。ほんの少し習っていて、どうしてももっと上達したいと思っていらっしゃいましたので、いっそう内大臣の弾かれる和琴がお聞きしたくて、
「こちらのお邸で、そうした音楽のお遊びがございます折などに、聞かせていただけますかしら。sりふれた田舎者の中にも、和琴を弾ける者がたくさんおりますから、今まで誰にでも弾ける楽器とばかり思っていました。それでは名人が弾かれるのは、格別すばらしいのでしょうね」
と、さも内大臣の和琴を聞きたそうに、ひどく切実に思い込んでいらっしゃる顔付きです。
「そうですとも、東琴あずまごと などと呼んで、いかにも田舎めいたようにきこえるけれど、帝の御前での音楽の御遊びの時にも、帝は真っ先に和琴をお召しになるのは、外国でではいざ知らず、わが国では、和琴を楽器の親として、一番大切なものとしているからでしょう。その中でも第一の名手といわれる内大臣のお手から、直接お習いになったら、さぞ上達されることでしょう。この邸などにも、内大臣は何かの折にはお越しになるでしょうが、和琴を秘術を惜しまず鮮やかに演奏されるなどということは、滅多にないでしょう。名人と言われる人は、どの道の人も、そう軽々しく手の内は見せないようです。それでも、いつかそのうちには、きっと内大臣の和琴をお聞きになれるでしょう」
と、おっしゃりながら、すこしお弾きになります。その音色はまたとないほど新鮮ではなやかでした 

源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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