〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/28 (火) 

常 夏 (一)

たいそう暑い夏のある日、源氏の君は東の釣殿つりどの にお出になって涼まれました。夕霧ゆうぎり の中将もお供をされています。親しい殿上人でんじょうびと もたくさん控えていて、桂川かつらがわ から献上したあゆ や、近くの賀茂川で捕れた石伏いしぶし とかいう小魚などを、源氏の君の目の前で料理してさしあげます。
いつものように内大臣の御子息たちが、夕霧の中将をお訪ねになって、こちらにいらっしゃいました。源氏の君は、
「退屈で眠くなっていたところです。いい時に来てくれましたね」
とおっしゃって、お酒を振舞われ、氷を入れた水を取り寄せてお飲みになったり、氷水をそそぎかけた水飯すいはん などを、めいめいで賑やかに食べています。
風はよく吹き通していますけど、日が長くて雲一つなく照り渡った空が、ようよう西日になるころ、せみ の声などもひどく暑苦しく聞こえて来ますので、源氏の君は、
「涼しいはず の水の上の座敷でも、一向役に立たない今日の暑さといったら、失礼は許してもらいますよ」
と、物に寄りかかって横になっていらっしゃいます。
「全くこう暑い時はうんざりして、音楽の遊びなどもその気にならないし、かといって、何もせずに、なかなか日の暮れないのもまいってしまう。宮中にお仕えする若い人たちは、さぞたま らないだろうね。宮中で帯紐おびひも も解かないあの固苦しさではね。せめて、ここでは気楽にくつろいで、近頃世間に起こったような事件で、少しは珍しくて睡気の覚めるようなことを聞かして下さい。何だか年寄りじみた気分がして、世間のことにもとんと、うとくなってしまったから」
などとおっしゃるのですが、これが特別珍しいことですといって、お聞かせするようなことも思いつきませんので、皆恐縮した様子で、たいそう涼しい高欄こうらん に背中をもたせかけるようにして、控えていらっしゃいます。
「どこで、どう耳に入れたのか忘れたが、内大臣が最近、よそで生ませた娘を探し出してきて、大切に世話をしていられるようだと、聞かせてくれた人があったが、それは本当かな」
と、内大臣の次男のべん少将しょうしょう にお尋ねになりました。
「それほど大袈裟に、噂するほどのことではございません。今年の春のことでした。夢の話を父がしましたのを、人伝ひとづて に聞きつけた女が、自分こそそれについて申し上げたいことがあると、名乗り出てまいりました。兄の柏木かしわぎ の中将がそれを聞きつけまして、本当にそうした関係にあった証拠があるのかと、女のところへ話を聞きに訪ねました。わたしは詳しい事情はあまり存じません。まったく今時珍しいこととして、世間の人々も噂しあっているようです。こういうことは、父とりましても、またわが家にとっても恥じになることでございます」
と申し上げます。源氏の君は、それでは噂は本当だったのかとお思いになって、
「ずいぶん大勢のお子たちがおいでのようなのに、列から離れて取り残されたかり の子までも、無理に探し出されるとは欲深いことですよ。わたしに方こそ、子供がまったく少ないので、そんな隠し子を見つけ出したいものだけれど、当家では名乗る気もしないと思うのか、とんと耳に入って来ない。それにしても名乗り出た以上は、その姫君の話しはまんざら無関係でもないのでしょう。内大臣も若い頃は、ずいぶん所かまわず忍び歩きもなさっていられたようだから、底まで清く澄まぬ水に映る月のように、どうせ曇らないわけにはいかないだろうね」
と笑いながらおっしゃいます。夕霧の中将も、その件については詳しく聞いていらっしゃるので、つい、にやりとなさいます。弁の少将と弟君の藤侍従とうじじゅう の二人は、ひどく辛そうです。源氏の君は、夕霧の中将に向かって、
「中将よ、お前もせめてそういう落葉でも拾ってきなさい。好きな人にふられたという人聞きの悪い評判を後世まで残すよりは、その人と同じ血筋の姉妹に心を慰めてもらうのは、何の不都合があるものか」
とおからかいになるお口ぶりです。
表向きはたいそうむつ まじいご関係なのに、こうした何か張り合うようなことで、源氏の君と内大臣は、昔からやはり何か間に隙がおありなのでした。まして今は、夕霧の中将に、雲居くもいかり の件で、ひどく恥をかかせて、辛い思いをさせていらっしゃるのでで、内大臣のそんな冷たい仕打ちを、胸におさめかねて、わざとこれを内大臣が聞かれて、いまいましがられるがよいと、お思いになるのでした。
源氏の君はこうした話しをお聞きになるにつけても、
玉鬘たまかずら の姫君を内大臣にお会わせしたら、これはまた、きっと大切にお扱いなさるだろう。何しろ、万事に折り目正しく形式ばり、何に対してもきちんとやってのける性格で、善悪のけじめもはっきりとつけ、人を めたり、けなしたり、軽んじたりするのも格別激しくなさる方なので、姫君をこちらにかくま っていたとわかれば、どんなに立腹されるだろう。何の予告もなしで、いきなり立派に成長した姿の姫君をお引き合わせしたら、決して軽々しくはお考えになれまい。それにつけても、こちらはいっそう油断なくお世話しなくては」
などと、お考えになるのでした。

源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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