梅
枝え | 六条の院での薫物たきもの
合せの夜、酒宴に内大臣の子息弁の少将が、催馬楽 さいばら
「梅が枝」 を謡ったことで題が決まる。 源氏三十九歳の正月から三月まで。 今年は十一歳になる明石の姫君の裳着の儀式が予定されていた。東宮も二月に元服、その後姫君が東宮妃として入内することに決まっていた。 公事もなく閑な正月末、源氏は薫物合せを思い立つ。 六条の院の女君に朝顔の姫君も加わってもらい、それぞれが独自の名香を調合する。判者には螢兵部卿の宮が当たり、その発表会があった。 この帖の前半は、源氏の香道論があり、後半は書道論が展開される。先に文学論、絵画論、音楽論もあり、源氏の多芸多才ぶりが実証される。 この名香は、すべて明石の姫君の入内の支度に当てられる。源氏自身も紫の上とお互い内緒にして、邸の内でも別々にかくれて調合していた。 二月十日、いよいよ薫物合せの日で判者の螢兵部卿の宮が六条の院に到着し、女君たちからの香も次々届けられた。香壺
こうご の箱や壺や台にもそれぞれの趣向の限りが尽くされていた。宮は女君たちの調合した香をそれぞれ誉めあげ、面目をたてて、なごやかな薫物合せが終る。 その後の宴会も、はなやかで、君達の謡や楽器の演奏があった。 翌十一日の夜、明石の姫君の裳着の式が行われ、腰結いは秋好む中宮が源氏に頼まれてつとめた。異例の盛儀であった。 二月二十余日、東宮の元服があり、他家の姫君の入内を先にして、明石の姫君は四月の入内とした。その間に入内の調度はいっそう整えられた。その中に書道の手本として名筆の草子も加えられた。源氏自身も筆を取り、螢兵部卿の宮や紫の上と、源氏は書道論を展開する。 内大臣はそうした華々しい源氏周辺の騒ぎを見聞きするにつけ、あれ以来、まだ身の固まらない雲居の雁のことが不憫でならなくなる。夕霧の心は変わらない。源氏は夕霧に、男は結婚した方が身が落ち着くし、社会の信用も増すと、訓戒する。
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