〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/06/27 (月) 

とこ  なつ
常夏は撫子なでしこ の別名である。撫子に愛児を擬している。
撫子の とこなつかしき 色を見ば
    もとの垣根を 人や尋ねむ
という源氏の歌による題名。
源氏三十六歳の夏六月。
酷暑の日、夕霧と涼を取っているところへ遊びに来た内大臣の子息たちに、源氏は、最近内大臣が引き取ったと噂に聞く落胤らくいん の娘近江おうみ の君について真相を く。
近江の君は、内大臣の夢の占いの話を洩れ聞いて、実子だと名乗り出たのを、長男の柏木の中将が出向いて引き取って来たのだという。源氏は内大臣に実の娘だと玉鬘を逢わせたらどんなに喜び大切にするだろうと思う。
夕暮、源氏は若い公達を連れて玉鬘の西の対に行き、玉鬘にも若い公達にも恋をけしかけるようなことをそそのかす。源氏は玉鬘に、夕霧と雲居の雁の仲をさいた内大臣に対して、不満に思っていることを話す。その口ぶりから、玉鬘は、実父と源氏の仲がしっくりいっていないことを知り悩む。
月のない夜なので、篝火かがりび をたかせ、源氏は和琴を弾き、玉鬘にも教える。源氏は夕顔の話もして、そのうち内大臣に逢わせると言いながら、心の中ではいっそ玉鬘を螢兵部卿の宮か、髭黒ひげぐろ の右大将と結婚させようかとも迷う。自分の恋心がつのる一方なので、源氏の決心はつかない。
内大臣は玉鬘の噂を聞くにつけ、近江の君が不出来だったのを悔やんでいる。雲居の雁の将来も不安でならない。源氏が礼を尽くして懇望すれば、もう夕霧に許してもいいと考えているが、源氏の方がまるで無関心のようなので、内心苛々している。
近江の君の評判の悪さに困り果て、内大臣は、弘徽殿こきでん の女御の女房として、行儀見習をかねて出仕させることにする。
近江の君の部屋を覗くと、五節の君と双六すごろく をしていて、内大臣が出仕のことを話すと、大喜びして、とんちんかんな応答を、聞くに堪えない早口でまくしたてる。内大臣は辟易へきえき して逃げ出す。
近江の君は女御に珍妙な手紙や歌を書き、宮仕えの喜びを訴え、それがまた人々の失笑と嘲弄の種になる。
源氏物語の中で作者が意地悪いほどの筆づかいで、読者の物笑いになるよう書いているのは、末摘花すえつむはな と近江の君、それに色好みの老女げん典侍ないしのすけ である。この三人の共通点は宮廷や、貴族社会の通念や、日常性の調和を破る点である。何より美と調和が重んじられた当時の社会に於いて、どんな意味にしろ、不協和音を立てる者は許されず非難の的とされた。
源の典侍は年齢に似合わない好色という点で、末摘花は、正視し難いほどに醜い「容貌、特に像のように長い鼻とその先が赤いということと、それに度外れの世間知らずの非常識という点で、そして近江の君は、身分の低さと無智と、身の程をわきまえない点で、人々の顰蹙ひんしゅく を買い、嘲弄を招くのであった。
長い物語の中で、息抜きのような滑稽譚が入るのは、読者の笑いを誘い、緊張をほぐすという効果がある。芝居の幕間狂言のようなものと思ってよい。
それにしても末摘花も近江の君も、作者の筆が辛辣になればなるほど、あわれを感じ、笑いがふっと凍りつくような気分にもなる。それはこの人物たちに、全く悪意がなく、善良だからであろう。
少なくとも末摘花と近江の君は、一途さに於いて、非常識なほど真面目で真剣だという点に於いて共通している。
しかしそれは観点を変えれ、人間の美点でもあるのだ。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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