螢
(十) | 紫の上も、明石の姫君のための御注文にかこつけて、物語を手放し難く思っていらっしゃいます。くま野の物語が絵に描かれているのを、 「たいそうよく描いてある絵だこと」 とおっしゃって御覧になります。幼い姫君が、無邪気に昼寝していらっしゃる場面の絵を、昔の御自分の様子をお思い出しになりながら紫の上は御覧になります。源氏の君は、 「こんな子供どうしでさえ何とまあ、恋いなれていることか。わたしなどは、やはりあなたの大人になるのを待っていた気の長さでは、例にあげられてもいいほど、人とはちがっていましたね」 と、昔のことをお持ち出しになります。たしかに、世に例のないような恋ばかりを、たくさん御経験なさったことです。 「姫君の御前で、こうした世間ずれした色恋沙汰
の物語などは、読んでお聞かせしないのがいいでしょう。ひそかに恋心を持った物語の娘などは、おもしろいとは思わぬまでも、こんなことが世間にはあるものだと、姫君が当り前のように思われたら大変です」 とおっしゃいます。こんな話しを、もし西の対の玉鬘の姫君がお聞きになられたら、自分に対する扱いとは、ずいぶん分け隔てのあることと、お気を悪くされることでしょう。紫に上は、 「ほんとに浅はかに物語の色恋沙汰を真似たりするのは、はた目にも見られたものではありません。宇津保うつほ
物語の藤原の君の娘というのは、とても思慮深くてしっかりしていて、間違いはないでしょうけれど、相手に対するいかにもそっけない物言いや態度には、女らしさがないようで、それもやはり心の浅い女と同じようにお手本にならないと思いますわ」 とおっしゃいます。源氏の君は、 「現実の人間も、えてしてそんなようですよ。一人前にそれぞれが、人と違った自分の主張を持って譲らず、ほどのいいように振舞えないのです。たしなみのある立派な親が、よく注意して育て上げた娘が、子供のように純真なものをせめてもの取り柄として、しかもいろいろ劣った点も多いのは、一体どんな育て方をしていたのかと、親の躾しつ
け方まで思いやられるのも、全く気の毒なものです。しかしまた、そうはいっても娘を見ていかにもその人の身分にふさわしい感じだなどと思えるのは、育て甲斐があるというもので、親の面目も立ちます。まわりの者が口を極めて気恥ずかしいほどほめちぎっていたのに、その娘の仕出かすことや、口にする言葉を見たり聞いたりして、なるほどと感心されるようなところがないのは、全くがっかりするものです。ただつまらない人には、何とかして娘をほめさせたくないものですね、思慮の足りない人は、ばかぼめするから」 などと、ただただこの明石の姫君が、人に後ろ指をさされることのないようにと、何かにつけお心をつかわれ、また仰せになります。 継母ままはは
の意地悪さを書いた昔物語が多くある中で、継母の心とは、そんなものだと思い込まれては、おもしろくないと、源氏の君はお考えになりますので、よく物語を厳選なさりながら清書さえたり、絵などにもお描かせになるのでした。 源氏の君は、御長男の夕霧の中将を、こちらの紫に上にはお近づけにならないようにしていらっしゃいますが、、明石の姫君のほうには、それほど遠ざけることのないように、今からお躾になっていらっしゃいます。 自分が生きている間は、どちらにせよ同じことだけれど、死んだ後のことを考えてみると、やはり日頃から馴染なじ
んで、気心も知り合い、親しんだ方が、とりわけて情愛も深くなり将来の後うし
ろ盾だて にもなるだろうとお考えになって、南の廂ひさし
の間ま の御簾みす
の内へは、出入りをお許しになっていらっしゃいます。それでも台盤所だいばんどころ
の女房たちの中へ入ることはお許しになりません。 多くはいらっしゃらないお子たちの御仲なので、源氏の君はお二人のお子を、それは大切にお世話申し上げていらっしゃいます。夕霧の中将の性質は、大体が重々しく、生真面目一方に考えるお方なので、源氏の君は安心して姫君をお任せになっていらっしゃいます。 明石の姫君はまだあどけないお人形遊びなどがお好きな御様子が見えますので、中将にはあの雲居くもい
の雁かり の姫君と一緒に遊び過ごした歳月が、まず思い出さずにはいられなくて、明石の姫君のお雛ひな
さまの御殿遊びのお守りをまめまめしくなさっては、時折涙ぐんでいらっしゃるのでした。 お相手としてふさわしいような女たちには、軽い遊び心で言い寄ったりもなさいます。そうした相手は大勢いますけれど、先方から本気で将来をあてにされるようには、深入りなさいません。中には妻としてもふさわしいと心を惹ひ
かれそうな女がいても、強し いてちょっとした冗談事にしてしまいます。やはりあの雲居の雁の乳母めのと
に六位の袖の色と軽蔑されたのを、なんとかして見直してもらいたいと思う心だけが、どうしても捨てられない重大事として、頭を離れないのでした。 是が非でもと、なりふり構わずしつこくつきまとっていたら、内大臣もその成り行きに根負けして、結婚をお許しにならないこともなかったでしょう。しかし二人の仲をさかれて、真実口惜しいと思っていたあの頃、どうしても、内大臣にその処分の良し悪しを、理非を分けて反省していただこうと決心したことが忘れられません。姫君御本人にだけは、並々でない恋心の思いのたけを、ひそかにお手紙で残りなくお知らせしてあります。それでいて表向きは焦ったふうには一向に見せずおっとりと構えていらっしゃいます。 姫君の御兄弟たちも、この夕霧の中将の態度を、ひどく小憎らしいと思うことが多いのでした。 |
|
|