〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-[』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻五) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/25 (土) 

螢 (七)
源氏の君はその夜、花散里の君の御殿にお泊まりになりました。女君とお話しになり、
「兵部卿の宮は、ほかの人々よりは比較にならないほど優れていらっしゃるね。御器量などは、それほどでもないが、お心配りや、御態度などが人を きつけるやさしさで、魅力的なお方です。あなたもこっそり御覧になりましたか。人は結構だとほめるけれど、やはりもうひとつというところがありますね」
と仰せになります。花散里の君は、
「宮は殿の弟君でいらっしゃいますのに、ずっとお年上にお見えでした。これまで長い歳月、このように何かの催しには必ずお越しになりおむつ まじくなさっていられると、お伺いしていますけれど、昔、宮中あたりでちらとお見かけして以来、ずっとお会いしておりませんでした。何と御器量なども年とともに御立派におなりになったことでしょう。そち親王みこ のほうは美男子ではいらっしゃるようですが、少しお人柄が劣られて、親王というより諸王しょおう くらいに見えました」
とおっしゃいます。源氏の君は、ほんの一目でよく人柄を見抜かれたとお思いになりましたが、ほほ笑まれて、そのほかの人々については、よいとも悪いともお口にはなさいません。源氏の君は人のことについて難癖をつけたり、軽蔑したようなことを云う人は、困ったものだとお考えになります。
髭黒ひげくろ の右大将などをさえ、世間では奥ゆかしい人物だと評判のようだが、どれほどのことがあろう、もしこの人を玉鬘の姫君の婿として身内づきあいをするとしたら、多分もの足りないことだろうとお考えになりますが、それを口に出してはおっしゃいません。
花散里の君との間は、今ではただ表面は御夫婦らしいだけで、御寝所なども別々におやす みなさいます。どうしてこんなふうによそよそしくなったのかと、源氏の君は心苦しくお思いになられます。花散里の君は、大体が何かと嫉妬めいたことはおっしゃらず、この年頃ずっと、こうしたその折々の様々なお催しの噂も、人伝に知ったり聞いたりするだけだったのに、今日は珍しいことに、こちらでこうした催し事が行われただけでも、この町にとっては、たいそう晴れがましい名誉だったと満足していらっしゃいます。
その駒も すさめぬ草と 名に立てる みぎは のあやめ 今日や引きつる
(馬でさえ食べない草と 名の高い水際の菖蒲あやめ のように 取り柄のないわたしを 今日は菖蒲の節句なので お引き立て下さったのかしら)
とおおらかに申し上げます。とりたててどうというお歌でもないのですが、源氏の君は、しみじみいじらしくお聞きになります。
にほどりに 影をならぶる 若駒は いつかあやめに 引き別るべき
(雄雌仲のよい鳰鳥におどり のように いつもあなたと影を並べて 一緒にいる若駒のわたしは どうして菖蒲のあなたと 別れることがあるでしょう)
遠慮のない率直なお二人のお歌ですこと。
「朝夕いつも御一緒にいるわけでもないわたしたちですが、こうしてお いできるととても心が安らぎます」
と、源氏の君は冗談半分におっしゃるのですが、花散里の君が、おっとりしたお人柄なので、つしんみりした口調になってお話しになります。御自分の御帳台みちょうだい は源氏の君にお譲りになって、几帳きちょう を間に隔ててお寝みになります。君のおそばに夫婦として共寝をなさるようなことは、まったく不似合いなことと、すっかりあきらめきっていらっしゃるので、源氏の君も無理に共寝をお誘いになることもありません。
源氏物語 (巻五) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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