螢
(三) | 夕闇の頃も過ぎて、新月の影もあるかなきかのおぼつかない空模様は曇りがちなところに、物思さしそうにしんみり見える兵部卿の宮の御様子も、ほんとうに優艶
です。御殿の奥からほのかに漂って来る香りに、いっそうすばらしい源氏の君のお召物の薫りが添い匂うので、あたり一杯いいようのない芳しさが香り満ちています。兵部卿の宮はかねがね想像していられたよりもはるかに風情のある姫君の御気配に、いっそう深くお心を惹ひ
かれるのでした。恋い慕う胸の想いの数々を、訴えつづけられるお言葉も、落ち着いていられて、ただ一途に色めいたふうでもなく、その雰囲気はほかの人とは大いに異なっています。源氏の君は、これはなかなか興味があるとそっとお耳を傾けていらっしゃいます。 玉鬘の姫君は、東の廂ひさし
の間に引き籠ってお寝やす みになっていらっしゃいます。そこへ宮のお言葉をお取り次ににじりながら入ってゆく宰相の君に、源氏の君はことづけられて、 「これではあんまりもったいぶった気の利かないお扱いです。何事も、その場に応じて振舞うのが見苦しくないのです。むやみに子供じみたふりをなされるお年でもありません。この兵部卿の宮にまで、他人行儀に人伝のご返事などなさるものではありませんよ。直接お声をお聞かせならないにしても、せめてもう少しお近くにお寄りになっては」 など、おさとしになりますけれど、姫君はほとほと困ってどうしていいかわかりません。こんな御意見にかこつけてでも側近くに入り込んでいらっしゃりかねない源氏の君のお気持とも思われるので、あれやこれやと思い迷うと辛つら
くてたまらなく、そっとその場を抜け出して、母屋もや
との境に立ててある御几帳みきちょう
の陰に、横におなりになりました。 なにやかやと宮のお話しが長く続くのに、お返事もなさらないで、姫君は思いためらっていらっしゃいます。そこへ源氏の君が近寄って来られるなり、御几帳の帷子かたびら
を一枚、いきなりお上げになります。と、同時に、さっと光るものがあたりに散乱して、紙燭しそく
をさし出したのかと、姫君はびっくりなさいます。 この夕方、源氏の君は螢をたくさん薄い布に包んでおいて、光を洩も
れないように隠してお置きになったものを、さりげなく、姫君のお世話をなさるふりをよそおって、さっと放し撒ま
かれたのでした。突然のきらめく光に、姫君がはっと驚き、あわてて扇をかざしてお隠しになった横顔は、息を呑むほど妖あや
しく美しく心をそそられました。源氏の君は、 「おびただしい光が突然見えたら、宮もお覗のぞ
きになられるだろう。玉鬘の姫君をこのわたしの実の娘とお思いになっているだけで、こうまで熱心に言い寄られるのだろう。姫君の人柄や器量などが、これほど非の打ち所もなく具そな
わっていようとは、とても想像もおできになるまい。実際、色ごとには熱心に違いない宮のお心を、惑わしてあげよう」 と、あれこれたくらんで趣向をめぐらしていらっしゃるのでした。ほんとうの御自分の娘であったなら、これほどまでに、おせっかいおを焼かれて大騒ぎはなさらないでしょう、ほんとうに困った御性分なのでした。 源氏の君は、別の戸口からこっそり脱け出してお帰りになりました。
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