年が明け、源氏三十六歳の新春である。六条の院造営後、はじめてこのハレムで迎える正月となる。一点の雲もない晴れ渡った空の下、源氏は晴れ着を贈った女君たちを一人一人訪ねていく。朝のうちは参賀の人々で賑わっていたので、源氏が女君たちを訪ねるのは夕方になっていた。 春の御殿では共に暮している紫の上と互いに新春を祝う歌を交し合い、まずそこから明石の姫君の部屋を訪ねる。ここには西北の町の明石の君から、贈り物と歌が届いていた。 |
年月を
まつにひかれて 経 る人に けふ鶯うぐひす
の 初音はつね 聞かせよ |
|
この歌から、初音の題が出ている。 源氏は姫君に返事を書かせる。広大とは言え、同じ六条の院に住みながら、大堰で悲しい雪の日の別れをして以来、明石の君は、自分の産んだ娘に逢うことが出来ない。 源氏はそこから花散里を訪ねる。花散里に送った地味な衣裳は、やはり地味すぎて引き立たず、御本人は髪もひどく薄くなっている。源氏はそれを見て、
「かもじでもつけたらいいのに」 ともどかしがる。二人の間はもうセックレスの夫婦関係になっている。源氏は自分以外の男なら、さぞ興ざめして魅力を感じないだろうなと思い、自分の気の長さとやさしさを自認して得意に思う。 気の安らぐ古女房の好さが花散里にはあって、源氏は何の気がねもなく心が慰むのである。 玉鬘は、派手な山吹襲やまぶきかさね
の晴着に負けず、一段と華やかに見える。九州での苦労のせいで髪の先の方がわずかに少なくなっているのさえ、さわやかに見える。髪の薄さも花散里とはずいぶん感想が違う。源氏は好色な心をそそられ、我ながら危ないぞと思っている。 そこで話しこみ夕闇も濃くなって明石の所にゆき、この部屋の心憎いまでの用意の好さと、白地にエキゾチックな模様の個性的な衣裳を趣味よく着こなしている明石の君の魅力に源氏は満足した。紫の上に気がねしながら、年の始めの夜をそこで泊まってしまう。 二日は臨時の年賀の客が多く、華やかな祝宴と音楽の遊びのうちに暮れてゆく。おかげで紫の上の御機嫌の悪さをそらすことが出来て、源氏はほっとしている。 正月の忙しさが落ち着いてから、二条の東の院の末摘花の君も、空蝉の尼も訪ねて、それぞれやさしい言葉をかける。一度縁の出来た女を女をいつまでも面倒を見て捨てないというのが源氏の心情で、多情も許したくなる美点である。 この帖で、今年は男踏歌が行われ、一行が宮中から朱雀院を訪れ、つづいて六条の院へ廻って来たと書かれている。男踏歌は、現実には一条帝の時にはもう廃絶していた行事なのに、それを材料として用いたのは、紫式部はこの物語の時代を、聖代として称えられた延喜、天暦の時代に仮託しているので、その現実感を出すため、男踏歌の情景を使ったのである。 すべては紫式部の想像で描かれたものであろう。 |