〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/05/30 (月) 

たま  かずら (一)
源氏は歳月が過ぎても夕顔を忘れることが出来ない。
あの時連れて来た夕顔の女房の右近も、源氏の女房として今も仕えている。右近はもし夕顔が生きていたら、はなやかな六条の院に迎えられ、明石の君程度の扱いは受けただろうにと、何かにつけて思い出している。右近はあれきり夕顔のいた五条の家にも戻らず姿をきらました形になったので、右近の乳母たちは、右近も共々神隠しにでもあったのか、命を落としただろうくらいに考えていた。夕顔の子供の女の子が、四つになった時、乳母の夫が太宰の少弐になって赴任したので、一家で移ることになり、その時、幼い姫君も伴われて筑紫に行ってしまった。
乳母の夫は任期が終っても京へ帰る財力もなく、病気になって死んでしまう。彼らが姫君と呼んで大切にしていた夕顔の女の子は十歳くらいになっていたが、天性の美貌はすでに輝きだしていた。少弐の死後も筑紫で暮し、年頃になった姫君はますます美しく品よくなり、その評判が伝わって求婚者が後をたたない。乳母は困って、自分の孫娘だと世間に触れてあるので、この娘は結婚出来ない欠点が体にあると云って、求婚者をしりぞける。中に肥後の国の大夫たいふげん という武士がいて、その地方一体に勢力を持ち、羽振りがいい。この男が熱烈に求婚して、どんな体でも自分が治して幸福にすると言ってきかない。大夫の監は乳母の次男と三男を味方に付け、反対すればこの土地にいられないようにしると脅す。長男の豊後ぶんごすけ だけが姫君に忠実で、乳母と計り、ひそかに船で筑紫を逃げ出し、京へ向かう。
どうにか無事京に帰りついたものの、もう知人もいなくなり、乳母たちは生活のめどもつかない。豊後の介の発案で、あとは神仏に頼るしかないと、石清水いわしみず 八幡宮に参詣し、つづいて御利益の高いという初瀬の観音に参詣することにした。御利益を高めるため、一行は徒歩で初瀬まで行く、姫君はその道中で難渋し、足を痛め、命からがらようやく初瀬山の麓の椿市つばいち までたどり着く。
その宿に、偶然、源氏に引き取られている右近が、やはり姫君の行方を知らせて欲しいと願をかけて、初瀬の観音に詣っており、泊り合わせた。この不思議なめぐり合いから、姫君たちの一行と右近は翌日も一緒に観音に参詣し、宿望で泊り、語り明かす。
六条の院に帰った右近は、夕顔の遺児に巡り会ったことを源氏に話し、現時は自分のよそに産ませてあった娘だと世間には触れて、この娘を六条の院に引き取るのだった。
事実は紫に上にだけ話し、姫君の身柄は花散里に預けて、後見を頼む、東北の町の花散里の西の対に住まわせる。
引越しの支度は源氏が姫君や女房の衣裳まで充分用意して、夕顔の娘が恥をかかないように配慮した。
源氏は初めて逢った娘の想像以上の美しさに、夕顔を思い出し感動する。声も夕顔に似て若々しい。
源氏がこの娘に逢った感想を紫の上に告げた時に詠んだ
恋ひわたる 身はそれなれど 玉かぢら いかなる筋を 尋ね来つらむ
という歌から、この姫君を玉鬘と呼ぶようになり、この帖の題名にもなった。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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