〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/05/15 (日) 

おと  
乙女とは五節ごせち の舞姫の歌語である。
源氏が筑紫つくし の五節に贈った歌、
乙女子も 神さびぬらし 天津袖 ふるき世の友 よはひ経ぬれば
夕霧が惟光の娘の五節に贈った歌
日かげにも しるかりけめや 乙女子が 天の羽袖はそで に かけし心は

による題である。
源氏三十三歳から三十五歳までの話。
源氏の断ち切れぬ朝顔の姫宮への未練について書かれ、ついで、源氏と紫の上との間に生まれた長男夕霧に対するきびしい教育や躾、夕霧と、内大臣 (前の頭の中将) の娘、雲居の雁の姫君との筒井筒の恋が描かれる。
最後に源氏のかねての構想による六条の院という大ハレムの造築、そこへ源氏の女君たちが移り住む話がつづいている。
年が明けて昨年三月に死亡した藤壺の宮の一周忌も過ぎた。世の中は喪服を脱ぎ初夏の衣更えも重なって、華やかになったが、朝顔の姫宮だけはまだ父宮の服喪中でしめった空気に包まれている。まだ恋慕の思いの断ち切れぬ源氏は、見舞の手紙をやったり、喪服を脱ぐ頃にはおびただしい衣裳を贈ったりする。朝顔の姫宮は迷惑に思うが、まわりの女房たちは、むしろ、朝顔の姫宮の強情を非難し、源氏に同情している。
姫宮は、五の宮や女房たちが揃ってそういう気持なので、もし源氏を手引きされたりしてはと、気が許せない。源氏はそんな乱暴な無理強いは望まず、鳴くまで待とうという気長な気構えでいる。
葵の上の遺した夕霧の若君の元服があり、それは夕霧の生まれ育った三条の邸で行われる。祖父は死亡したが、祖母大宮が孫の面倒を見て、目に入れても痛くない溺愛ぶりであった。
大宮の許には、もう一人、孫娘が預けられていた。内大臣の娘で、生母は夫と離婚し、他の男と再婚したので、姫君は父方に引き取られ、祖母大宮に育てられたのである。共に母に縁の薄い幼い従姉弟どうしは、いつの間にかあどけない初恋を育てていた。
夕霧の教育、躾に源氏は格別厳格で、位階も源氏のような高官の子息なら、普通四位にしても当り前なのに、わざと六位から出発させ、大学寮に入れて、みっちり勉強をさせる。
大宮はこの源氏の態度に反撥して文句を言うが、源氏は受け付けない。
内大臣は雲居の雁を、将来入内させようと考え楽しみにしていた。
ある日、大宮を訪ねた折、偶然女房たちの内緒話を立ち聞いてしまい、夕霧と雲居の雁がすでに大人の目を盗んで一かどの恋の真似事をしていることを知る。
内大臣は監督不行届をなじ、大宮のところから雲居の雁を自分の邸に引き取ってしまう。
夕霧は父源氏の厳しさに内心不満だけれど、それに反抗するような気強さはない。
夕霧の勉強ぶりや、精進による学問の上達が語られている。夕霧は擬文章の生の試験に合格して、秀才ぶりが世間に認められていた。一方、冷泉帝の妃たちの間で立后の競争があったが、源氏の後楯で、六条の御息所の姫君、梅壺の女御が中宮に決定した。競争相手だった内大臣の娘弘徽殿の女御も、紫の上の異母妹兵部卿の宮の姫君も、失望する。
夕霧は、内大臣に雲居の雁との仲を割かれて逢えなくなった淋しさに耐えている時、五節の舞姫になった惟光の娘を見初めて、心惹かれる。夕霧の恋文を見た惟光は、娘を宮仕えさせるつもりでいたが、夕霧に愛されるなら、その方がいいと考える。
大宮は夕霧に同情して、源氏の態度があまりにも実父として、冷たすぎると恨んでいる。
源氏は夕霧の世話を花散里に頼む、花散里は子供もないので、喜んで母親代わりに夕霧の面倒を見る。夕霧は、花散里が、思いの外の不美人なのに驚く。自分の周囲に美しい女ばかり見て育ったので、なぜ源氏がこんな魅力のない女をいつまでも大切にするのかわからない。
夕霧は真面目に勉強に励んだため文章に生に及第する。秋の司召つかさめ しには五位に昇り侍従になった。雲居の雁とはひそかに手紙だけは交わしているが逢うことも出来ない。
源氏は六条京極の、六条の御息所の旧邸の周辺に、四町を占めた広大な邸を建てる。そこへ愛する女君たちを住まわせようと計画する。
源氏はこの新邸で紫の上の父の式部卿の宮 (前の式部卿お宮) の五十の賀の祝いをしようと考えている。式部卿の宮は源氏が須磨に流された時、右大臣側を恐れて、紫の上にも冷淡にしたのを源氏に恨まれて、ことごとに冷たく報復されていると思っていたので格別の喜びだった。
建築を急がせ、着工後一年ばかりで、翌八月には六条の院は完成した・四つの町に仕切り、東南の町は紫の上と源氏が住み、西南は六条の御息所の旧邸跡なので、秋好む中宮の里邸とした。東北は花散里に、西北には明石の君を迎えようと計画していた。
それぞれの女君たちが彼岸の頃移って、しばらく後、十月になって明石の君は移った。
東南は春の、西南は秋の、東北は夏の、西北は冬の、四季それぞれの景色を写して、この上なく見事な造園であった。
女君たちはここに移って互いに手紙のやりとりなどして楽しくしている。
源氏は自由に、いつでもそれぞれの女君を見舞うことが出来るので、便利になっていた。
その邸は六条の院と呼ばれた。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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