〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2016/04/27 (水) 

うす  ぐも (二)
翌年、源氏三十二歳の春、太政大臣が死亡し、つずいて藤壺の宮が他界する。藤壺の宮は三月頃から病状が進みついに崩御した。
藤壺の宮は死の床に見舞いに来た現時に向かって、几帳の奥から。
「院の御遺言を守って、あなたが帝をずっと後見して下さったことを、長年ほんといに身にしみて有り難く思っていました。いつか何かの折に心からの感謝の気持をお伝えしてお礼を言いたかったのに」
という。弱々しいその声に、源氏ははじめて藤壺の宮の決して冷たくはない自分への愛情を感じ取って泣く。ふたりしか知らない共有した秘密の恋の切なさの、すべてが思い出されて胸が一杯になる。
源氏が死なないでほしいとの想いを込めて、
「わたくしももう長くは生きていないでしょう」
と訴える間に、藤壺の宮は燈火がかき消えたように息をひきとっていた。
政治にかこつけ、ふたりの愛の証の帝を力を合わせて守り抜いた歳月だけが、藤壺の宮にとってはかけがえのない真実の、生きた日々であったのかも知れない。長い歳月にさまざまな源氏の艶聞も耳にしていた筈だが、藤壺の宮は物語に中で、生前一度も嫉妬めいたそぶりを見せていない。
藤壺の宮が源氏に妬心をあらわにして嘆くのは、幽魂となってからであった。藤壺の宮は政界に復帰した源氏と心を合わせて、二人の秘密の子東宮を守り抜くことに心を尽くした。昔のたおやかなおもかげ はなく、女を捨て母となった藤壺の尼宮は、別人のようにたくましくなり、源氏の願望を容れ六条の御息所みやすどころ の姫君、前斎宮の入内では、陰謀に近い際どい計画を進んで立て、朱雀院すざくいん を失意させている。
どんな形にせよ、心を合わせ帝位についた二人の子を政敵から守り抜くという一点で、共闘した二人は、恋人以上に同志的結束で結ばれていたのだ。
藤壺の死は三十七歳で、平安時代は女の厄年に当たっていた。この当時の人の寿命は短くて、桐壺の更衣は二十歳ころ、夕顔は十九歳、葵の上は二十六歳、六条の御息所は三十六歳で死亡し、女君たちの中では一番長生きした紫の上さえ、四十三歳という短命さであった。
藤壺の宮の四十九日も過ぎた頃、冷泉帝は夜居よい の僧から、母と源氏との不倫の恋い、そして自分の出生の忌まわしい秘密を告白される。源氏物語にはどうも口の軽い単純な、尊敬出来ない僧侶が出てくる。すべて叡山の祈祷きとう 僧である。祈祷僧は、施主の願文を読んでいるので、何を施主が懺悔ざんげ し、何を仏に望み願っているかをすべて承知している。もちろん、それは現代の医者と同じで、絶対他言してはならない秘密である。
しかしこの夜居の僧は、軽々とその秘密を冷泉帝に告げてしまう。帝は驚愕して、生みの親である父を臣下として扱ってきた、不孝の罪におののき、源氏に譲位しようと考える。源氏は帝のぎこちなくなった態度や、譲位をほのめかす言動から、秘密の洩れたことを知る。この頃、故桐壺院の弟桃園式部卿の宮も他界する。朝顔の斎宮の父である。
前斎宮、梅壺の女御が里帰りした。源氏はこの女御に抱く恋心を自省して、春秋の優劣について質問する。女御は六条の御息所の他界の時節を回想して、秋を好むと答えた。これ以後、 「秋好む中宮」 と物語に中では呼ぶようになる。
源氏は紫の上の機嫌をとりながら、口実を設けて、明石の君を大堰に訪れる。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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