の、藤壺の死を悼む源氏の歌からつけた題である。 この帖には冒頭に明石の君とその姫君との哀切な子別れの場面がある。小説でも芝居でも、子別れは人の涙をしぼる得な見せ場だが、下手をすると、通俗に堕し、陳腐になってしまう。しかし
「薄雲」 の子別れは実によく出来ていて、哀切さ極まりない。 紫式部はこの場を、身も心も凍る嵯峨野の十二月に設定した。明石の君は源氏ひとりを頼りにして、はるばる明石から京に移ったものの、京の外れの淋しい嵯峨の大堰
の畔に住み、月二回という源氏の訪れを待つ淋しい明け暮れである。たまに来ても源氏は紫の上に気がねして、一、二泊しかしない。 源氏は、明石の君が女の子を出産したと聞いた時から、この子の将来は皇太子妃から皇后にという考えを抱いていた。逢って見ると、この姫君は源氏の予想を上回る美形で、三歳
(数え) の可愛らしい盛りである。 この姫君の将来のため、生母の身分がふさわしくないと考えた現時は、二条の邸に引き取り、紫の上を母として育てさせようと考える。 それを聞いた明石の君は思い悩むが、明石からついて来た母の老尼の忠告もあって、姫の将来のため、この辛い申し入れを受け入れてしまう。 十二月の雪の降りつづく大堰の里へ、源氏が訪れ、姫君を連れ去って行く。わけも分からない無邪気な姫君が、母も一緒に行くものと思い込み、「早く早く」
と母の袖を引っ張るところは泣かせ場面である。こういうむごいことをあえてする源氏の心の内は、姫君の将来の幸福というより、自分の地位や権力の安定を望んでいる男の野心と利己心である。源氏は決して情事だけに惑溺している軟派の好色な男ではなく、政治家としても、なかなかしたたかな面を持っている男として描かれている。 子供の産まれない紫の上は、子供好きで、この恋敵の産んだ幼い姫を、無性に可愛がる。源氏が明石の君を訪ねた留守に、紫の上が乳の出ない乳房を、姫君にふくませる場面は、妙にエロチックだし、石女うまずめ
の悲しみが惻々そくそく として伝わって来る。
この年の春、紫の上は二十三歳で、明石の君は二十二歳である。まろやかな清らかな紫の上のwらわな乳房の描写はない。ないことでかえって、読者の目にはその乳房の美しさが浮び、その奥にたたえられた紫の上の悲しみが汲み取れるのである。当時の物語には
「継母のいじめ」 を題材にしたものが多かった。そんな中で、紫の上と明石の姫君の義理の母娘の美しい愛情を描いたのも、源氏物語の一つの新しさであっただろう。 |