玉鬘の姫君のことがお気にかかるままに、源氏の君はしきりに西の対にお出かけになり、姫君のお世話をしていらっしゃいます。 一雨降った後のしっとりともの静かなたそがれ時、源氏の君はお庭先の若楓
や柏木などが、青々と茂りあっている空の風情が、何となく爽やかで気持がいいのをお部屋から御覧になって、<和して且また
清し> と、白氏文集はくしもんじゅう
の詩を口ずさまれると、すぐあの玉鬘の姫君のお姿の匂いばかりの美しさが思い出されて、いつもにょうに、こっそりと西の対へお越しになります。 姫君は手習いなどして打ちくつろいでいらっしゃいましたが、起き直られて、きまり悪そうになさったお顔の、ほんのりした色艶の何という美しさ。なよやかなその物腰に、源氏の君は、ふと昔の夕顔の姿が思い出されてたまらなくなられて、 「はじめてお会いしたときは、ほんとうにこうまで母君に似ていらっしゃるとは思わなかったのに、この頃では不思議なほど全く母君ではないかとまちがえそうな時がよくあるのです。何というあわれ深いことでしょう。夕霧の中将が、一向に亡き母の俤おもかげ
を伝えていないのを見慣れているので、親子でも、それほど似ないものかと思っていたのに、こんあに母親そっくりの人もいられたのですね」 とおっしゃって、涙ぐんでいらっしゃいます。箱の蓋ふた
に載の せてある果物の中に、橘たちばな
の実があるのを手にもてあそばれて、 |
橘の
かをりし袖に よそふれば かはれる身とも 思ほへぬかな (昔の人をしのばせる花橘の なつかしい袖の香りにつけても あなたを昔の亡き母君と
思って見ればそっくりで とても別人とは思えない) |
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「いつまでも亡きあの方が常に胸に住み、忘れられなくて、心を慰めるすべもなく過ぎてきた長い年月でしたが、こうして母君とそっくりのあなたとお会いするのは、夢ではないかとばかり思われます。やはり、どうしても愛する気持をこらえられそうもないのです。そんなわたしをお嫌いにならないで下さい」 とおっしゃって、姫君の手をおお取りになりました。姫君は、こんな経験はしたこともありませんでしたので、とてもいたたまれなくなりましたけれど、さりげなく、おっとりした様子で御返歌をなさいます。 |
袖の香を
よそふるからに 橘の みさへはかなく なりもこそすれ (花橘の香のした袖に 亡き母に比べられるなら 橘の実にあたるわたしも
母と同じ運命で 若くはかなく死ぬのでしょうか) |
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困ったことになったと思って、うつ伏していらっしゃる姫君のお姿は、たいそう「魅力にあふれ、手はふっくらと肥えて、身体つきや肌合いはいかにもきめこまやかに可愛らしく見えますので、源氏の君はますます恋の悩ましさがつのるような気持がなさり、今日は少し、かねての恋心をお打ち明けになりました。姫君はわが身が情けなくて、わなわな震えている気配もありあり分かるのですけれど、源氏の君は、 「どうしてそんなに嫌がられるのですか。わたしはとても気を遣って人前を取りつくろい、誰にも気づかれないように用心しているのですよ。あなたもさりげないふりをして隠していらっしゃい。これまでも並々でなくあなたを思っていた養父の気持の上に、さらに恋の思いが加わるのだから、この思いは世に比べるものもない気持がします。こうして恋文をよこす人々より、わたしをないがしろになさっていいものでしょうか。本当にこれほど深い愛情のある者は、めったにいるわけはないと思えばこそ、あなたのことが心配でならないのです」 とおっしゃいます。何とまあ、お節介な親心もあるものですこと。 |