〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/11 (土) 

初 音 (二)
明石の姫君の方へお越しになりますと、女童めのわらわ や下仕えの女などが、お庭の築山の小松を引いて遊んでいます。若い女房たちも、正月で気が浮き立ち、じっとしていられないように見えます。
北の御殿の明石の君から、今日のために、わざわざこしら えておいたらしい様々な贈り物を、竹の髭籠ひげこ檜破子ひわりご などに入れてお届けしてあります。言いようもなく見事に作った五葉の松の枝にとまらせてあるうぐいす までも、いかにも何か思っているように見えます。
年月を まつにひかれて る人に けふうぐひす初音はつね 聞かせよ
(長い年月小松にひかれて お会いする日だけを念じ 待ちわび暮しているわたしに せめて今日の鶯の初音を 聞かせて下さいますように)

「鶯の声の聞こえない里から」
と書かれているのを、源氏の君はいかにも可哀そうにと、しみじみお察しになります。めでたい元日というのに縁起でもなく、涙を抑えられない御様子です。
「おのお返事は御自分でお書きなさい。初便りをさしあげるのを御遠慮しなければならないお方ではないのですから」
と、すずり の用意をしておあげになり、姫君にお書かせになります。
たいそう可愛らしくて、朝夕お会いしている人でさえ見飽きない姫君の御器量なのだから、今まで長い年月、会わせもしなかった生みの母君に対して、源氏の君は罪つくりなことをしたと気の毒にお思いになります。

ひきわかれ 年は れども 鶯の 巣立ちし松の 根を忘れめや
(お別れしてから 年月は経ったけれど 鶯が巣立った松を忘れないように どうして生みの母君を 忘れられましょう)

幼いお心に思うままを、こまごまと詠んでいらっしゃいます。

花散里はなちるさときみ の御殿にお出かけになりますと、今はその季節ではないせいか、たいそうもの静かな感じで、取り立てて飾り立てもなく品よく住みこなしていらっしゃる雰囲気が、お邸じゅうに漂っています。
歳月が経つにつれて、お互いのお心には何の隔たりもなくなり、しみじみとしたお二人の御仲で「いらっしゃいます。もうこの頃では、ことさらにお泊まりになり、枕を交わされるというようなこともなさいません。ただたいそうお睦まじいながら、世にも珍しい性を超越したすがすがしい男女の御関係を、保ちつづけていらっしゃるのです。
御几帳みきちょう がお二人の間に置いてありますけれど、すこしそれを押しのけられますと、花散里の君はそのままで隠れようともなさいません。年の暮れにお贈りした薄藍色のお召物は、やはりとても地味な色合いで引き立たず、おぐし などもすっかり盛りが過ぎて、薄くなっているのでした。
「まだそれほど気にするほどではないけれど、か、おぞなどつけてつくろったらいいだろうに、他の男が見たら、さぞ興ざめしそうなこの人を、こうしてお世話しているのがわたしとしては嬉しいし満足なのだ。もしこの人が浮気な女たちと同じように、わたしを裏切り離れていってしまったなら、どうなっていたことか」
などと、いつもお逢いになった折々には、まず御自分の気持の長さも、花散里の君の落ち着いた重厚な御性格も、両方理想的なのだと嬉しくお感じになられるのでした。
去年の出来事のお話しなど、こまやかに、しみじみとなさって、やがて玉鬘たまかずら の姫君のいらっしゃる西のたい へお越しになります。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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