〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/09 (木) 

初 音 (一)
新しい年を迎えた元旦の空は、雲ひとつなくうららかに晴れ渡っています。ありふれたささやかな家の垣根の内さえ、雪の間から若草が爽やかな緑をのぞかせはじめ、早くも春めいてたなびく霞に、木の芽も萌えだしほんのりと煙り、人の心まで自然にのびのびするように思われます。
まして玉を敷きのべたように輝かしい六条の院では、お庭をはじめどちらを向いても目も奪われるお見事さです。常にもましてひときわ美しく磨き立てていらっしゃる。女君たちの御殿の様子は言い表しようもないほどです。
紫の上の春の御殿のお庭はとりわけすばらしく、梅の香りも御簾みす の内の薫物たきもの の芳香と一つになって風に匂い満ちて、まるでこの世の極楽浄土かと思われます。紫の上はこちらでゆったりと、のどやかにお住まいになっていらっしゃいます。お仕えする女房たちも、若々しくて器量のいい人たちばかりを、明石の姫君のお付としてお選びになり、御自分のほうには、年輩の者だけを残して、衣裳や容姿などはかえってこちらの方が奥ゆかしく優雅に装っています。その女房たちが、あちらこちらに寄り合っては、延命を願って歯固はがた めの祝いをしています。鏡餅かがみもち まで取り寄せて、 <君をいはひつる千年ちとせ の蔭に> と謡って、新しい年のいわごと をのべあってはしゃいでいます。そこへ源氏の君が顔をお出しになりましたので、あわてて懐手ふところで を出して身づくろいしながら、
「まあ、ほんとにお恥ずかしいこと」
と、恐縮しています。
「なかなかたいした祝い言をみんなで言っているようだね。それぞれ願いごとの筋があるのだろう。少し聞かせてごらん。わたしも祝ってあげるから」
とおっしゃってお笑いになる源氏の君の御立派なお姿を、女房たちはまず年の始めのめでたさとして嬉しく拝見するのでした。
女房の中でも自分こそはお情けをかけられていると自惚うぬぼ れている中将の君が、
「 <かねてぞ見ゆる君が千年は> などと鏡餅に向かって言いながら、殿の千年のお栄をお祝いしておりました。自分たちの祈りごとなどどれほどのことをいたしましょうか」
など申し上げます。
朝の間は、年賀の人々がたて込んできて騒々しかったので、夕方になってから源氏の君が六条の院の女君のところへ年賀にいらっしゃるため、念入りにお召物を着替えられ、お化粧なさったお姿は、ほんとうに見れば見るほど惚れ惚れするようでした。源氏の君は紫の上に、
「今朝、こちらの女房たちが祝いあって、楽しそうにはしゃいでいたのがたいそう羨ましかったから、あなたにはわたしが鏡餅をあげてお祝いしましょう」
とおっしゃって、少しくだけた冗談などまぜながら、お祝い言を申し上げます。
うす氷 とけぬる池の 鏡には 世にたぐひなき かげぞならべる
(薄氷も解けた 初春の池の 鏡のような面には 世に類いない幸せな 二人の姿が並んで映る)
たしかにお歌の通りに、すばらしいお二人の御仲でいらっしゃいます。紫の上は、
くもりなき 池の鏡に よろづ代を すむべきかげぞ しるく見えかる
(曇りなく澄んだ池の鏡に いついつまでもいっしょにと わたしたち二人の 幸せな影が 並んで映っています)
何につけてもお幸せな御夫婦の契りが、歌のように永遠につづきますようにと、仲睦なかむつ まじく詠み交わしていらっしゃるのです。そういえば今日はちょうど の日でした。なるほど千歳ちとせ の春を、子の日にかけて長寿をお祝いするのにふさわしい日なのでした。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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