〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/04 (土) 

玉 鬘 (十)

話を聞いて誰も彼も驚きました。
「まあ、夢のような気がします。ほんとに恨めしい、なんというひどい人かと思っていたそのお方に、まさかここでめぐり合うなんて」
と言いながら、隔ての幕の方に乳母は近寄って来ました。よそよそしく間を隔ててあった屏風びょうぶ のようなものも、すっかり押し開けて、まず言葉も出ず、お互い泣きあっています。
年老いた乳母は、ただ、
「わたしどもの御主人のお方さまはどうなさいましたか。これまで長い年月、夢の中でも、お方さまのいらっしゃるところを見たいと、大願を立てて来ましたけれど、はるばる遠い筑紫の田舎では、風の便りにもお噂を耳にすることも出来ませんでした。それが、ほんとに悲しくてならず、老残のこの身が生き永らえておりますのが、実に情けなくてなりません。それでも母君に置き去り捨てられてお小さな姫君がいじらしくも、お可哀そうなのが、冥途めいど の旅の障りになろうかと思い、どうお世話したらいいのか、扱いかねていますので、まだどうやら死にもしないでおります」
と話しつづけます。右近は、昔のあの時、人に話してもどうしようもなくて、途方に暮れたことよりも、今の方がもっと返事のしようもなく困り果てて、
「いえ、もう、申し上げてもせん ないことでございます。お方さまは、とうにお亡くなりになりました」
と言うなり、二、三人がそのまま涙にむせかえり、どうしようもなく涙をせきとめかなています。
もう日が暮れるからと、豊後の介の一行が急いで御灯明の用意などしてしまって、せきたてるものですから、こうして再会したため、かえって心あわただしく立ち別れます。右近は、
「御一緒に参りましょうか」
と言いましたが、お互いに供の者たちが不審がるでしょうし、乳母は豊後の介にも右近とのめぐりあいの事情はまだ、話す閑もありません。乳母も右近もお互い格別気がねなく、宿から皆それぞれ外へ出ました。
右近はそっと気をつけて見ていますと、乳母の一行に中に、いかにも美しい後ろ姿の、たいそう旅やつれした女君が目につきました。初夏四月頃に着る、単衣ひとえ のようなものを頭からかず き、その中に着こめていらっしゃる黒髪が透いて見えるのが、何とももったいないようにお見事なのです。右近は痛々しくも、おいとおしく感じるのでした。
すこし足馴れた右近は、あちの一行より早く観音さまの御堂に着きました。豊後の介たちは姫君のご介抱に難渋しながら、初夜そや の勤行の頃にようやく上って来ました。御堂では参詣の大勢の人々が混み合って口々に喋りざわめいています。
右近の場所は、御本尊の右手に近い にとってありました。姫君の一行の方は、御祈祷ごきとう をお願いした師僧に、まだ馴染が浅いせいか、西の間の御本尊から遠く離れた場所でした。右近が、
「やはりこちらへいらっしゃいませ」
と、場所を探し当てて言って寄こしましたので、乳母は男たちをそこに残して、豊後の介にわけを話して相談した上で、姫君を右近の所にお移しになりました。右近は乳母に、
「わたしはこんな取るにも足らぬ身の上ですが、ただ今の太政大臣様にお仕えしておりますので、こうした忍びの道中にも、無礼な仕打ちを受けることは、まずないだろと、心丈夫に思っております。田舎びた人を見ると、こうした人の集まる所では、不埒ふらち で生意気な連中があなどって、失礼な振舞いをしたりしますのも、畏れ多いことですから」
と言って、もっといろいろ話がしたいのは山々ですけれど、勤行の大声があたりに響きわたり、いかにも騒々しいので、それに引き込まれて、右近も御本尊の観音様を拝むのでした。心の内に、
「この姫君をどうかしてお探ししようと、これまでずっと観音様にお祈り申して参りましたが、おかげでようやっと、どうやらこうしてお逢いできました。この上は源氏の君がかねがね姫君の御行方をお尋ねしたいと強くお望みのようですから、姫君のことをお知らせいたしましょう。これからはどうぞ姫君に幸運をお授け下さいませ」
などとお祈りしたのでした。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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