玉 鬘
(九) | その相客こそ、実は、あの亡き女主人を忘れることもなく慕って、恋い泣きしつづけている右近だったのでした。年月が経つにつれて、六条の院の中途半端な御奉公にだんだん居心地が悪くなってゆく自分の身の上が、心細くなり思い悩んで、この初瀬のお寺に度々参詣していたのでした。 うつものことなので、身軽な旅支度でしたが、歩いての旅はひどく苦しくて、右近は物に寄りかかって横になっていました。そこへ豊後の介が来て、隣の幕のそばに寄っていき、姫君のお食事なのでしょう、お盆を自分で持って、 「これは姫君にさし上げてください。お膳などが揃わないで、まことに恐縮ですが」 と言うのを聞いて、右近は自分たちとは身分の違う人なのだろうと思って、物の隙間から覗
いてみますと、この男の顔に見覚えがあるような気がします。それでも誰とは思い出せません。豊後の介のたいそうな若い頃を見ていたのですが、今では肥って黒く日に焼け、身なりも粗末な旅姿でしたので、長い年月を隔てて逢ったのでは、とっさに見分けられないのでした。 「三条、姫君がおめしですよ」 と豊後の介に呼び寄せられた女を見ると、これまた見たことのある顔です。亡くなられた女君に、長い間お仕えしていた下働きの女で、あの夕顔の隠れ家までお供していた者なのです。右近は、その女に違いないと見定めると、まるで夢のような気がします。女主人と思われる人を、見たくてならないけれど、人々がしっかりと隠して、たやすく覗き見などは出来そうもありません。仕方なくて、 「三条というこの女に尋ねてみよう。男は、昔たしか兵藤太ひょうとうた
と呼ばれていた者に違いない。それなら姫君もいらしゃるのかしら」 と思いつきますと、気がせいてたまらず、この中隔ての幕の所にいる三条を呼ばせました。ところが三条は食べるのに夢中になっていて、すぐにはやって来ません。それがほんとうにいまいましくて腹を立てるのも、あんまり身勝手というものです。ようやく三条が、 「わたしは何も思い当たりませんが。筑紫の国に二十年ばかり行っておりました下司げす
のわたしめを、御存じでいらっしゃるような京のお方なんて、人違いでございましょう」 と言いながら、右近の側へ寄って来ました。田舎臭い掻練かいねり
の小袖の上に薄衣うすぎぬ の上着などを重ねて、むやみに肥っています。それを見ると、自分の年もいっそう思い知らされて気がひけますけれど、 「もっとよくわたしの顔を見てごらん。このわたしを覚えていませんか」 と言って、右近は顔を差し出しました。三条という女は、手を打ち合わせて、 「まあ、あなた様でいらっしゃいましたか。ああ、嬉しい、まあ嬉しい。どちらからお詣りなさったのですか。お方さまはいらっしゃいますか」 と、たいそうな大声を上げてわっと泣き出します。まだうら若かった三条を見馴れていた昔を思い出しますと、これまで過ぎ越して来た歳月の長さがつくづく数えられて、右近は胸が一杯になります。 「何よりも、まず、乳母めのと
さまはここにいらっしゃいますか。幼い姫君はどうなさいましたjか。あてきと呼んでいた女童めのわらわ
は」 と聞いて、夕顔のことは言い出せません。 「皆さまいらっしゃいます。姫君も大人になっていらっしゃいます。とにかく、乳母さまに、これこれと申し上げましょう」 と言って、幕の内へ入りました。 |
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