〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/03 (金) 

玉 鬘 (八)
御利益があるようにと、ことさら乗り物を使わず徒歩で行くことにしました。姫君は馴れないので、たいそう辛く苦しいけれど、人の言うままに、無我夢中で歩かれます。
「どのような罪障の深い身で、こうした悲しい世にさすらわなければならないのだろう。わたしの母君がすでにこの世から亡くなり、いらっしゃらなくても、わたしを不憫ふびん と思いながら、今母君のいらっしゃる所にお連れ下さい。もしまだ生きてこの世においでならば、どうかお顔をお見せ下さいませ」
と、仏に祈りながら、生前の母君の面影さえ覚えていないので、ただ母君が生きておいでだったらと言うことだけを、ひたすら悲しみつづけていらっしゃるのでした。
こうして今さし当たって、馴れない旅路の辛い難儀も加わって、また改めてひどく悲しい想いをしながら、どうにかこうにか、椿市つばいち という所に、生きた心地もなく疲れ切ってたどり着かれました。四日目の午前十時頃のことでした。
これまでの道中、歩くどころでない有り様で、あれこれ療治りょうじ しながら、ようやくここまで来たものの、姫君はもう足の裏が辛抱出来ないほど痛んで歩けず、辛がられるので、仕方なくお休みになります。
頼もしい豊後の介の他に、弓矢を持った者が二人、そのほかには下男や童などが三、四人お供しています。女は、みんなで三人、壺装束つぼしょうぞく の旅姿をして、ほかに、おまるの掃除などをするような女と、年寄りの下女二人ほどがお供しています。いたって少人数でひっそりと人目をさけた一行です。
観音様にさしあげる御灯明も、ここで新たに手に入れたりしているうちに、日も暮れました。宿の主人の法師が来て、
「ほかのお方をお泊めすることに決まっているのに、誰が割り込んで来られたのか。不届きな女どもが勝手な真似をして別の人々を泊めたりして」
叱言こごと を言うのを、何てひどい言い分だとあき れて聞いているうちに、たしかにそこへ人々がやって来ました。
この人々も歩いて来た様子です。相当な身分らしい女二人に、下人たちは、男女大勢いるようです。馬四、五頭を引かせて、一行はひどく地味にやつして、お忍びらしく目立たないようにしていますが、こざっぱりした身なりの男の従者たちもいます。
主人の法師は、是非にもこの一行をここに泊めたいと思って、部屋割りに頭を悩まして苦心しながら右往左往しています。それが気の毒だけれど、また宿を替えるのもみっともないし、面倒なので、豊後の介の一行は奥の部屋に入ったり、ほかの部屋に目立たないように隠したりして、残りの者たちは部屋の片隅に身を寄せました。幕などをひき隔てて、新客から姫君を見られないようにしています。新しく来た連中も、気のおけるほどの客でもなさそうです。たいそうひっそりとして、お互い気を遣っています。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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