玉 鬘
(七) | 京の九条に、昔の知人で生き残っていた人を探し出して訪ね、とりあえず仮の宿に確保しておきました。そこは都のうちといっても、れきっとした人々の住んでいる界隈
でもなく、賎いや しい物売り女や商人の中に交じって、憂鬱な世の中をままならぬものに思って暮していくうちに、いつの間にか秋になってしまいました。来し方や行く末のことを思うと悲しいことばかりが多いのです。頼りにしていた豊後の介も、京では水鳥が陸に上ったような気持がして、うろうろしているだけです。馴れぬ都の生活で、何のめども立たないのを所在無く思い惑まど
うにつけても、今更、筑紫に帰るのもみっともなく、無分別に筑紫を出発してきてしまったことを後悔しています。一緒について来た家来たちも、今ではそれぞれ縁故を頼って逃げ去って、もとの肥前に帰り、散り散りになりました。 都に住みつくすべもないのを、乳母は明け暮れ嘆いては豊後の介にすまながるのでした。 「いやいや、このわたしは気楽なものです。姫君お一人の御みがわりになって、どこどこまでも行き行方知れずに消え失せたところで、誰が咎とが
めましょう。たとえわたしたちが、たいそうな権勢を得て羽ぶりよくなったところで、姫君をあんな大夫の監のような田舎者の中に捨てて置くようでは、どんな気持でいられましょうか」 と、言葉を尽くして乳母を慰めて、 「神仏こそは、姫君をきっと当然の幸運にお導き下さることでしょう。この近くの石清水いわしみず
八幡宮はちまんぐう という神様は、筑紫でも姫君がよくお詣まい
りしてお祈りしていた松浦まつら
、筥崎はこざき と同系のお社やしろ
です。姫君が肥前の国から御出発なさる時にも、沢山の願を立ててお祈りなさいました。上京を果たした今、こうして御利益ごりやく
を頂いて、無事に帰っておりますと、早く御報告なさいませ」 と言います。 そこで姫君を石清水八幡宮へ参詣にお連れしました。その辺りのことを知っている人を尋ねて、昔亡夫が懇意にしていた五師ごし
という僧侶が生き残っているのを呼び寄せて、一緒にお詣りさせました。 豊後の介は、 「この次には、仏の中では初瀬はつせ
の観世音こそ、日本のうちではあらたかな霊験をお示し下さるそうで、その評判は唐土もろこし
にまで届いているといいます。まして姫君はたとい遠い辺鄙へんぴ
な田舎とはい、同じ日本の国内に長年お住まいだったのですから、姫君にはいっそう御利益をお恵み下さることでしょう」 と言って、初瀬のお詣りにお出ししました。
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