〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/06/01 (水) 

玉 鬘 (三)
姫君はものが分かってくるにつれて、身の上をたいそうつらく思われて、年に三月みつき の長精進などもなさいます。二十歳ほどになられまうと、すっかり御成人なさって、こんな田舎には惜しいほどの、この上なくすばらしいお見事な姫君になられました。
乳母の一家が現在移り住んでいるのは、肥前の国でした。そのあたりでも多少とも由緒のある家の者は、まずこの少弐の孫娘の噂を人伝ひとづて に聞いては、やはりまだ、絶えず恋文を送って来ます。それは聞くのも耳うるさいほどのわずらわしさでした。
肥後の国一帯に一族が繁栄していて、その土地では声望も高く、勢力も盛んな大夫たいふげん という、武士がいました。恐ろしく無骨な心の中にも、多少とも好色な気持も持っていて、器量のよい女を集めて自分の妻にしたいと思っていました。この姫君のことを聞きつけると、
「どんなにひどい体でも、自分は目をつぶって、妻としよう」
と、とても熱心に求婚してきますので、乳母はひどく気味悪くなって、
「どうしてそんなお話しをお受けできましょう。本人はただもう尼になりたいとばかり言っております」
と返事をさせますと、大夫の監はますます不安になって、強引にこの肥前の国に押しかけて来ました。乳母は三人の息子を呼び寄せて、
「思い通り望みをかな えてくれた暁には、お互い心を合わせて協力してやっていきましょう」
などと持ちかけます。息子のうち次郎と三郎は大夫の監の味方についていました。
「最初の内は不似合いな縁談で、姫君をお気の毒に思いましたが、自分たちがめいめい、後ろ盾として頼りにするのは、大夫の監はなかなか頼もしい人物です。この男に憎まれたら、この近在でではとても無事に暮らしてゆいけません。姫君がいくら高貴なお方のお血筋と言っても、親に子として認めていただけず、世間にもその関係が知られないのでは、何の甲斐がありましょう。この大夫の監がこれほど熱心に姫君に想いを掛けて言い寄って来ているのは、今となっては姫君のお幸せというものです。大夫の監と結婚するという前世からの宿縁があればこそ、姫君はこんな田舎にまでもさすらっておいでになられたのでしょう。今更逃げ隠れなさったところで、何のこれ以上得なことがありましょうか。大夫の監が負けぬ気を起こして怒り出したら、何をしでかすか知れませんぞ」
と言って脅かします。大変な事になったと思って乳母たちは聞いています。長男の豊後ぶんごすけ が、
「やはりこんな問題が起こるのは、ひどく厄介でもったいないことだ。亡父の少弐の遺言もある。何とか工夫してこの際、姫君をお連れすることにしよう」
と言います。娘たちも泣きまどって、
「母君があんなふうにどこかへ消えておしまいになり、行方不明なのだから、せめてそのかわり、姫君には人並みにふさわしいご結婚をしていただきたいと願っているのに、あんな田舎者と結婚されるなんて」
と、嘆き悲しんでいます。大夫の監はそんなこととは知らず、自分は非常な名望家でsもあるように自惚うぬぼ れて、恋文など書いて寄こします。筆跡などはそれほど見苦しくなく書き、中国伝来の染め紙を、かんば しいこう で十分焚きしめて、なかなかいまく書けたと自分では思っているらしいけれど、その言葉づかいといえばひどくなま っているのでした。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next