乳母の夫の少弐は筑紫で任期が終り、京へ上ろうとしましたが、何分道中が長くて大変だし、格別の勢力も無いので財力も伴わず、あれこれ迷いながら、すっぱりと旅立ちも出来かねているうちに重い病気になり、死ぬかと思うような時にも、この姫君が十歳ばかりになられたお姿の妖しいほどの美しさを仰いで、 「自分までこの姫君をお見捨てして死んでしまったら、姫君はこれから先、どのように落ちぶれさまよわれることか。こんな辺境の地に御成人なさるのも畏
れ多いことだ。一刻も早く京にお連れし、父君にもお知らせして、あとは御運のままに姫君の将来を拝見させていただこうと思っていた。都は広い所だから便宜も多く、何の心配もあるまいと思って旅の支度を急いでいたのに、こんな所で死んでしまうとは」 と、心配そうに言います。少弐は三人の息子たちに向かって、 「ひたすら、この姫君を京へお連れ申し上げることだけを心掛けよ、わたしの死後の供養などは考えなくてよい」 ということを特に遺言したのでした。 どなたのお子であるとは、大宰府の同僚たちにも知らせず、ただ自分の孫で、大切に育てなければならないわけのある子だとばかり、言いつくろってきましたので、姫君を誰にも見せず、この上もなく大切にお育てしていました。 そのうち、少弐は俄にわか
に亡くなってしまいました。残された乳母たちは悲しく心細くて、ひたすら京へ旅立とうと支度するのですが、少弐と仲の悪かった土地の者が多かったりしますので、あれこれと妨害を恐れたり、気を遣ったりしているうちに、心ならずも年を過ごしてしまいました。その間にも姫君は成長されるにつれ、母君よりもいっそうおきれうで、内大臣のお血筋まで加わったせいか、気品高くそれは可愛らしくなられました。御気性も鷹揚おうよう
で申し分はありません。 そんな噂を聞き伝えて、色好みな田舎者たちが懸想けそう
して、恋文をよこしたがる連中が引きもきりません。乳母たちはいまいましいやら、あきれかえるやらで誰一人取りあおうともしませんでした。 「この孫娘は器量などはまあ人並みかも知れませんが、体にひどく悪いところがありまうから、どなたとも結婚させず、尼にして、わたしの生きております間は手元で見てやるつもりです」 と言いふらしました。それを聞いて、 「死んだ少弐の孫娘は結婚出来ない体なんだそうな。もったいないことだ」 と人々が噂します。それを聞くのもいまいましくて、 「どう7にかして都へお連れして、父大臣にお知らせしましょう。お小さかった頃にはずいぶん可愛がっていらっしゃたのだから、たとえ長年逢わないでいてもよもや薄情にお捨てにはならないでそゆ」 などと言って嘆きます。その間にも神仏に願を立ててお祈りするのでした。 乳母の娘たちも息子たちも、それぞれ土地相応の夫や妻を持ち、ここに住みついてしまいました。 乳母は心の中でこそ、旅立ちを急せ
いていますものに、京のことはますます遠のき隔たっていきます。 |