〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/26 (木) 

乙 女 (十六)
そのまま舞姫たちを宮中に留められて、宮仕えさせるようにとの帝のお気持もおありでしたけれど、今度はいったん退出させることしました。近江の守良清の娘は辛崎からさきはら いに、摂津の守惟光の娘は難波なにわ での祓いにと、互いに張り合って退出しました。按察使あぜち の大納言も、改めて娘を宮中へさし上げるつもりの由を奏上なさいました。
左衛門の督は資格のない人を舞姫にさし上げたので、お咎めがありましたが、その娘も宮中にお留めになります。摂津の守惟光は、
典侍ないしのすけ が欠員になっておりますので」
と、そこへ娘を差し出したいと人伝ひとづて に申し上げましたので、源氏の君はそう取り計らってやろうかとお考えになりました。
若君はそれを聞きこまれて、ひどく残念がっていらっしゃいます。自分の年齢や位などが、もう少し人並みであったら、惟光の娘を欲しいと言ってもみるのだけれど。思い寄せていることさえ知らせないままに終るのかと思えば、特に熱中しているわけでもないのですが、雲居の雁の姫君のことに加えて、涙ぐまれる折々もあるのでした。
この娘の兄で、童殿上わらわてんじょう している者があり、いつもこの若君のところに参上して御用を務めております。若君はいつもより親しそうにその少年に話しかけられて、
「五節はいつ頃宮中へ上るのか」
とお尋ねになります。
「今年のうちにと聞いております」
とお答えしました。若君は、
「あの人は顔がとてもきれいだったので、何だか恋しくてならないのだ。お前がいつも会えるのが羨ましくてたまらない。もう一度わたしに会わせてくれないか」
とお頼みになりますと、
「どうしてそんなことが出来ましょう。わたしだって思うままには顔を見ることも出来ないのです。男の兄弟だといっても、父は近くにも寄せ付けないのですから。まして、どうして若君にお会わせ出来ましょう」
とお答えします。
「それなら、せめて手紙だけでも」
と、お渡しになりました。前々から、こんなことをしてはいけないと、父きびしく言われているのに困ったことだと迷惑がっていますが、無理にお渡しになるのもお気の毒なので、手紙を受け取って行きました。
娘は、年齢よりはませていたのでしょうか、その手紙を見てうっとりして心惹かれました。緑色の薄様紙に、気の利いた色どりの紙を重ねてあるのに、筆跡はまだたいそう幼びていますけれど、将来の上達ぶりが頼もしく思われる字で、実にみごとに書いてあります。
日かげにも しるかりけめや 乙女子が あま羽袖はそで に かけし心は
(日の光にもあきらかに おわかりだったこおでしょう 五節の舞姫のあなたが 天の羽衣の袖ひるがえす 舞姿に奪われたわたしの心は)

二人でそれを見ていた時に、父の惟光がいきなりそこに来ました。恐ろしさに二人はあわてふためいて手紙を隠すことも出来ません。
「どういう手紙か」
と言って取り上げるので、娘は顔を真っ赤にしています。
しからんことをしたな」
と怒るので、兄が逃げて行くのを呼び戻して、
「誰の手紙か」
と問い詰めます。
殿の若君が、こうおっしゃってお渡しになったのです」
と答えますと、惟光はさっきの怒りはどこへやら、打って変わった笑顔になって、
「何とかわいらしい若君のお戯れ心ではないか。お前たちは若君と同い年なのに、話にもならないほどのぼんやり者だ」
などと若君をほめて、妻にもその手紙を見せます。
「この若君が、娘を多少とも人並みに思って下さるなら、あたりまえの宮仕えをさせるよりは、いっそこの若君にさし上げようではないか。源氏の君の女君へのお心がまえを拝見していると、いった愛情をおかけになったら、御自分からはお忘れになるまいとなさり、実に頼もしいのだ。わたしも明石の入道のようになれるかも知れないな」
などと言いますが、誰も相手にしないで、家人は宮仕えの支度に大わらわなのでした。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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