〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/20 (金) 

乙 女 (八)
それから二日ほどたって、内大臣は大宮邸にまたお出かけになりました。大宮も殿がこうしてしげしげいらっしゃる時はたいそう御機嫌がよく、お喜びでいらっしゃいます。尼削あまそ ぎの額髪を きつくろい、きちんとした御小袿こうちき などを上にお召しになり、我が子ながら気のおける内大臣のお人柄なので、物を隔てて他人行儀にお逢いになります。内大臣は御機嫌斜めのお顔で、
こちらにお伺いするのも体裁が悪く、女房たちが何と思って見ているかと思うと、気がひけて不愉快でなりません。わたしはこれっといって取り柄のない人間ですが、この世に生きている限りは、母上に始終お逢いして、お互いに心が通うようにと心がけてまいりました。それなのに不出来な娘のことで、母上をお恨みせずにはいられない不祥事が起こってまいりまして、こうまで考えつめまいと一方では反省するのですが、やはりどうしてもお恨みする気持を静めることが出来ませんので」
と、涙をぬぐ われるのです。大宮はお化粧なさったお顔の色も変わられて、驚きのあまりお目も大きく見張られました。
「一体まあ、どんなことで、こんな年寄りが、今更、あなたにそんないやな思いを起させたのでしょう」
とおっしゃるのも、内大臣はさすがにお気の毒に思いますけれど、
「母上を御信頼出来るところと頼りにして、幼い姫をお預けしておきました。父親のわたしは、この姫を幼い頃から一向に面倒も見ないで、差し当たっては弘徽殿の女御が入内してもあまり順調でないのを苦にして、そちらのお世話ばかりにかまけていました。それでもこちらの姫だけは、母上が何とか一人前にしてくださるだろうと、頼りきっておりましたのに、夕霧の若君との間に心外なことが起こりましたようで、実に口惜しくてなりません。あの若君はたしかに天下に並ぶ者のない物識りには違いありませんが、近親の従兄妹いとこ どうしでこんなことになるのは、世間からも分別のない軽率なことと思われます。さしたる身分でない者どうしの間でもそういわれておりますので、若君の御ためにも実に不体裁なことです。男は、血縁でない他人同士で、時流に乗って豪勢に暮している家に、婿としてはなやかに迎えられるのが、結構な縁組というものです。親戚同士のなれあいの結びつきというのは、どうも正当でないきらいがあって、源氏の君もこのことをお耳になされば不愉快にお思いになりましょう。かりに二人を一緒にさせるにしても、実はこういうことになったと、まず父親のわたしにお知らせ下さったなら、表向きの体裁もいろいろ取りつくろって、少しは世間体も恰好のつくような形にしておきたかったのです。それを幼い二人の思いのままに放任なさいましたとは、心外で情けのうございます」
と申し上げます。大宮は夢にも御存じなかったことなので、ただ意外さに驚くばかりで、
「そてがほんとうなら、そうおっしゃるのもごもっともですけれど、わたくしは一向にこの二人のそんな本心は知らなかったのです。ほんとうにいあかにも残念でならないといえば、わtsくしの方こそ誰よりもはるかに嘆きたいところです。それなのにあの二人と一緒にしてわたくしをお責めになるのは、お恨みに思いますよ。姫君をお預かりしてからは、とりわけ心をつかって大切にしまして、あなたのお気づきになれないことも、立派に仕込んで育てあげようと、人知れぬ苦労もしております。まだ一人前にもならないうちに、孫可愛さに心の闇に迷って、いそいで二人を結婚させようなどとは思いもよらないことでした。それにしても、一体誰がこんなことをお聞かせしたのでしょう。つまらない世間の人たちの噂を信用して、そんなにきつくお怒りになり頭ごなしにお叱りになるのも、情けないことです。根も葉もないことから大切な姫君のお名がけがれましょう」
とおっしゃいますと、内大臣は、
「何が根も葉もないことですか。お仕えする女房たちも、陰ではみんなしてあざ笑っているようですよ。それが実に口惜しく、怪しからんことに思われてならないのです」
と言い捨てて、座を立ってしまわれました。
事情を知っている女房たちは、若い二人を可哀そうに思います。あの夜、陰口をいっていた女房たちは、なおさら気も動転して、どうしてあんな幼い二人の秘めごとをうっかり喋ってしまったのかと、つくづく後悔しあっています。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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