〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/20 (金) 

乙 女 (七)

姫君はあちらのお部屋にお返しになりました。内大臣は いて若いお二人の仲を隔てるようになさり、姫君のお琴の音さえ若君にはお聞かせすまいと、今は出来るだけ引き離されようとなさるのを、
「そのうちきっと、お気の毒なことが起こりそうなお二人ですわね」
と、お側近くお仕えしている大宮ずきの年かさの女房たちが、ひそひそささや き合っているのでした。
内大臣はお帰りになるふりをして、ここのある女房の部屋に忍んでおいでになったのですが、そっと身をすぼめて抜け出ようとなさる途中で、女房たちがこんなひそひそ話しをしているのを聞かれて、不審にお思いになりました。いっそう耳をすませてお聞きになりますと、御自分の噂をしているのです。
「内大臣はいかにも賢いおつもりでいらっしゃるようだけど、やはり親馬鹿だわね。この分ではそのうちきっと困ったことが起こるでしょうよ。 <子を知るは親にしかず> なんてどうも嘘みたいね」
などといって、つつき合っています。
「情けないことだ。やはりそうだったのか。全然考えつかないことではなかったが、まさか、まだ子供だとばかり思って油断していた。世の中はつくづくいやなものだなあ」
と、何もかもすっかり事情をお悟りになりましたが、そのまま音もたてないで邸をお出ましになりました。
やがて聞こえて来た内大臣の重々しい前駆の声に、女房たちは、
「まあ、殿はたった今お帰りになったのですわ。今までどもに忍んでいらっしゃったのかしら。あのお年になってもまだ、こんな浮気心をお持ちだなんて」
と話し合っています。さっきの内緒話をしていた女房たちは、
「とてもいい匂いがきぬ ずれの音につれて伝って来たのは、若君がそばにおいでなのだとばかり思っていたのに、まあ、こわ い。わたしたちの陰口をうすうすお聞きになったのではないかしら、殿は面倒な御気性なのに」
と、みんなで心配しあっています。
内大臣はお帰りの道々、
「二人の縁組は、全くお話しにならない程でもないけれど、いかにもありふれたつまらない関係だと、世間で噂することだろう。源氏の君が、無理にも弘徽殿の女御をおさ えこんでしまわれるのも口惜しいので、もしかしてこの姫を入内させたら、人にまさる幸運も得られようかと期待していたのに、残念なことになってしまった」
とお考えになります。源氏の君との御仲は、一通りは昔も今もしっくりいっていらっしゃるものの、こうした競争になりますと、さきに立后争いで張り合ったしこりも、あれこれ思い出されて、面目ない御気分になり、寝覚めがちに夜をお明かしになりました。
「大宮もそんな二人の親しいそぶりは気づかれていただろうに、目に入れても痛くないほど可愛がっていらっしゃる孫たちなので、気ままにさせておいたのだろう」
とお考えになると、さっきの女房たちが話していた口ぶりが心外で、いまいましくお腹立ちになります。すると興奮なさって、もともと男らしく、きっぱりと物事のけじめをおつけになる御性分なので、お怒りを静められないのでした。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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