太政大臣や内大臣のそれぞれの新任披露の宴会も終って、ほかに朝廷の大きな行事の準備もなくようやく落ち着かれました。時雨
が降り、荻おぎ の葉末を渡る風もしみじみ身にしみるそんな夕暮に、大宮のお部屋を、内大臣がお訪ねになって、姫君もそこへお呼びになり、お琴などをお弾かせになります。 大宮はあらゆる楽器に堪能たんのう
でいらしゃいますので、どれもみな姫君に御伝授なさっていらっしゃいます。内大臣は、 「琵琶びわ
という楽器は、女が弾くと見た目にはよくありませんが、音色はいかにも気品のあるものです。しかし今では正確な奏法を弾き伝える人は、ほとんどいなくなってしまいました。それが出来るのは、何々親王か、源氏の誰それくらいのものでしょうか」 などと数え上げられて、 「女性の中では、源氏の君が大堰おおい
の山里に囲っていらっしゃる女君が、たいそう琵琶の名手だと聞いています。その人は音楽の名人の子孫といっても末代になって落ちぶれ、長年田舎住まいをしていたのに、どうしてそんなに上手に弾くことが出来るのでしょう。あの源氏の君も、たいそうな名手だと格別にお思いで、それを折にふれよくおっしゃいます。ほかのことと違って、音楽の才能だけは、yはり色々な人と合奏して、さまざまな楽器と調べ合わせてはじめて上達するものです。ところがあの方は独習で名手になったということですが、こんなことはほんとに珍しいことです」 などとおっしゃって、大宮に琵琶をお弾きになるようお勧めになります。大宮は、 「もうこの頃は柱じゆう
を押さえるのさえもたどたどしくなってしまって」 などおっしゃいますけれど、それはみごとにお弾きになります。 「その大堰の女君は、幸運なだけでなくそれに加えてやはり並々でなく人柄が立派なのですね。源氏の君があのお年になるまで、お持ちになれなかった姫君をお産みになって、しかも、自分の手許において肩身の狭い思いをさせてはならないと、貴い御身分の紫の上にお預けしたその心構えは、非の打ちどころもない方とか聞いております」 などと、弾く手を休めてはお話しなさいます」 内大臣は、 「女はただ心がけ次第で、出世するものですね」 など、人の噂話をおはじめになって、 「わたしは弘徽殿の女御を普通以上に、何ごとにつけても人にひけを取らないように育たれたお方だと思っておりました。ところが思いもかけなかった梅壺の女御に立后の先を越された不運を見るにつけ、この世は意外なことの起こるものと思い知りました。今はせめてこの姫君だけでも、何とかして思い通りにしたいものです。東宮の御元服ももうすぐのことになりましたので、ひそかに東宮妃にもと考えておりましたのに、今お話しの幸運なお方のお産みになった姫君が、后の候補者として、また追いすがってきました。この方が入内なさったら、とても競争できる人はいないでしょう」 と嘆息なさいます。大宮は、 「どうしてそんなことになりましょう。この家から后になる方が出ないままで終るようなのとは決してあるまいと亡き大臣もお思いになって、弘徽殿の女御の御入内の際も、御自身で熱心に奔走なさったものです。もし生きていらっしゃったなら、弘徽殿の女御が立后から外れるなどという筋の通らぬことも起こらなかったでしょうに」 などと、源氏の君に対しても、この事だけは恨めしくお思いになっていらっしゃいます。 姫君のお姿がまだいかにも幼く可愛らしくて、筝そう
のお琴こと をお弾きになっている時の、お髪ぐし
の下がり方や、生え際のあたりが、上品で若々しく美しいのを、内大臣がじっと見つめていらっしゃいますので、姫君は恥ずかしがって少しわきをお向きになります。その横顔の頬のあたりがいかにも可憐で、左手で絃をゆるがせる手つきが、まるで見事に作られた人形のように可愛らしいのを御覧になり、大宮も限りなくいとしくお思いになります。 姫君は調子を整えるための小曲などを、軽くお弾きになってから、琴をあちらへおやりになります。 内大臣は、和琴わごん
をお引き寄せになって、律りつ
の調べの曲を、古風な和琴でむしろ当世風に聞こえるようお弾きになります。これほどの名人が気楽に存分にかきならされるのは、なんとも言いようがないほどすばらしいものでした。 お庭先にわさき
の梢から、琴の音に誘われてはらはらと木の葉が残りなく散り落ちてゆきます。年老いた女房などが、そこここの几帳きちょう
の陰に頭を寄せ合って聞き入っています。内大臣は、 <落葉、微風を俟ま
ちて以って隕お つ。而しか
して風の力、蓋けだ し寡すくな
し> と古詩を朗詠なさって、 「琴のせいでもないのでしょうが、不思議にもの悲しくあわれを感じる夕暮ですね。もう少し弾きませんか」 と姫君におっしゃって、
「秋風楽しゅうふうらく 」 に調子を掻き直されて、弾きながらお歌いになります。そのお声が、ほんとうにすばらしいので、大宮は姫君もいとしい上に、内大臣まで、それぞれ実にかわいいとお思いになっていらっしゃいます。そこへ、いっそう感興を添えるように、夕霧の若君もいらっしゃいました。 「こちらへどうぞ」 と、若君は、姫君とは御几帳を隔てて招じ入れられました。内大臣は、 「この頃はさっぱりお目にもかかれないですね。どうして、そんなに学問ばかりに打ち込んでいらっしゃるのですか。学問があまり出来すぎて、身分が追いつかないのも困ったことだと、源氏の君も御承知の筈なのに、こんなふうに格別お仕込みになられるのは、何かわけがあるのでしょうな。それにしてもあなたがこんなに勉強ばかりして閉じ籠っておいでなのは、お気の毒に思いますよ」 とおっしゃって、 「時々はほかのこともなさった方がいい。笛の音などにも、昔の聖賢の教えは伝わっているものですよ」 と、横笛をあしあげられます。若君はそれを若々しく美しい音色に吹きたてられました。その音色があまりにも見事で感興をそそられますので、内大臣はお琴などはしばらくそっちのけになさり、拍子を大袈裟でないほどに笏しゃく
でお打ちになって、 <萩の花ずりや、さきむだちや> などと催馬楽さいばら
をお謡いになります。 「源氏の君も、こうした音楽の遊びにお心を惹かれて、忙しい御政務などからお逃れになったのでしたよ。実際、味気ない人生で、せめて気分の晴れやかになりことをして、日を過ごしたいものです」 などとおっしゃって、盃を傾けていらっしゃいます。やがて暗くなりましたのでお灯あか
りをともして、どなたもお湯漬ゆづ
けや果物などをお夜食に召し上がりました。 |