乙 女
(六) | さて、宮中ではそろそろお后
をお決めになる時期になりました。 「前斎宮の女御こそ、亡き藤壺の母宮も、帝のお世話役にとわたくしにお頼みになられたお方だから」 と、源氏の君はそれを理由にあげて御推挙なさいます。そうなれば、皇族から引きつづいて后がお立ちなさることになるので、世間は承知しません。 「弘徽殿こきでん
の女御が、まず誰よりも早く入内じゅだい
なさったのをさし措いて、どうして」 などと、あちらやらこちらに味方している人々は、それぞれひそかに気を揉んで心配しております。 紫むらさき
の上うえ の父宮で、兵部卿ひょうぶきょう
の宮と申し上げたお方も、今は式部卿しきぶきょう
の宮となられて、今の帝からは、御伯父としてこれまでにも増して厚く御信任されていられます。その方の姫君が、かねての希望通り入内なさいました。斎宮の女御と同じように王族の女御として伺候していらっしゃいます。 「同じ王族なら、御母方のお血筋で帝とは従兄妹いとこ
同士でいらしゃることだし、この方こそ亡き母后の代わりのお世話役にふさわしいだろう」 と、それぞれに主張ばさり競争なさいました。けれどもやはり梅壺うめつぼ
にお住まいの斎宮の女御が中宮に立たれました。 その御幸運は、御不幸だった御母の六条の御息所みやすどころ
とはうって変わってすぐれていらっしゃると、世間の人々はすっかり驚いています。 源氏の君は太政大臣に御昇進なさり、右大将は内大臣におなりになりました。源氏の太政大臣は、天下の政治は内大臣がお執りになるよう実権をお譲りになりました。内大臣は人柄がたいそう剛直で派手な面もあり、威儀も御立派で、心づかいなども格別に賢明でいらっしゃいます。学問をとりわけ熱心になさいましたので、あの韻塞いんふた
ぎでは、昔、源氏の君にお負けになりましたが、政治の実務についてはお詳しくて有能でいらっしゃいます。多くの夫人たちがお産みになったお子が十人余りいらっしゃって、それぞれに成人なさった方々も、次々に立派な官職につき、源氏の君の家系に劣らず栄えていらっしゃる御一族なのでした。 姫君は弘徽殿の女御の外に、もうお一人いらっしゃいます。母君は王族で、お血筋の高貴な点では弘徽殿の女御に劣らないのですが、その母君は内大臣と別れて按察使あぜち
の大納言と再婚なさり、そちらにも大勢のお子がお生まれでした。 内大臣はこの姫君を按察使あぜち
の大納言の子たちと一緒に育て、継父の手に任せるのも不都合だとお考えになって、姫君を母方からお引取りになり、祖母の大宮にお預けになりました。内大臣はこの姫君を弘徽殿の女御よりはあるかに軽くお扱いになっていらっしゃいますけれど、姫君のお人柄や御器量などは、それはもう可愛らしくていらっしゃいます。 そんなわけで、夕霧の若君は、この姫君と一緒に大宮のお邸でお育ちになりました。それぞれ十歳を過ぎてからはお部屋も別々にされました。親しい間柄でも、女の子は男の子とは隔ておくべきだと、内大臣がお教えになって、よそよそしくお暮しになっていらっしゃいます。子供心にも恋しく思う気持がないわけでもありませんので、夕霧の若君はちょっとした花や紅葉につけても、また人形遊びのお相手をするのにも、しきりに姫君につきまとって、恋しいという真心をお見せになりますので、自然お互いに深く愛し合って、姫君も幼い時のように今でも若君にお顔を見せ、恥ずかしがって隠れるようなことはなさいません。。 御後見の乳母たちも、 「何の、まだお小さい方たちどうしのことなのだし、これまで長年御一緒に仲良くお育ちだった間柄なのだもの、どうしていきなり他人行儀に引きさいて、若君にきまりの悪い思いをおさせすることなど出来ましょう」 と思っています。女君の方は無邪気で子供っぽいのですが、男君の方は、それほどませていらっしゃるとも見えなかったのに、それがいつの間に年に似合わずどのような仲になっていらっしゃったのでしょう。お二人のお部屋が別々になってからは、若君はそれを苦になさって落ち着かずそわそわしていらっしゃるようでした。まだ上手とはいえないものの、先々の上達が楽しみな愛らしい文字で、やりとりなさった恋文が、まだ子供っぽい姫君の不用意から、ついうっかり落したりして女房たちの目に触れることもありましたので、姫君つきの女房たちは、薄々感づいている者もありました。それでも、どうして、これこれですなど、誰に申し上げられることでしょうか。見て見ぬふりをしているだけに違いありません。
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