若君はそれ以来、大宮のところにもめったにお出かけになりません。大宮は若君を夜となく昼となくお可愛がりになり、いまだに幼子扱いをなさるので、あの大宮のお邸ではとても勉強は出来ないだろうと、源氏の君は静かな所にお籠らせになったのでした。一月
に三度ほどは大宮のところへ参上してもよいと、お許しになりました。 若君はずっと勉強部屋に閉じ籠こも
っていらっしゃって、御気分が晴れないものですから、 「ずいぶん辛い仕打ちをなさるものだ。こんなに苦しい勉強をしなくても、高位高官に昇り、世間に重く用いられている人だっていないこともないのに」 と、父君をずいぶんお恨みににもなりますけれど、もともと、お人柄が真面目で軽薄なところのないお方なので、一生懸命我慢なさって、 「何とかして、読まなければならない漢文の本を一日も早く読んでしまいたい、大学を卒業して、朝廷のお役にもつき、立身出世もしよう」 とお考えになります。わずか四、五ヶ月のうちに、史記などという書物は、すっかり読み終えておしまいになったのでした。 いよいよ今度は、若君に擬文章ぎもんじょう
の生しょう になる試験を受けさせようと、源氏の君はお考えになりました。まず御自身の前で、模擬試験をしてお試しになります。 例によって、伯父の右大将、他に左大弁、式部の大輔たいふ
、左中弁などだけをお召しになり、お師匠役の大内記だいないき
をお呼びになり、史記の難しい巻々の中から、受験の時、博士が問い返そうとしそうな大切な箇所を抜き出して、一通り若君にお読ませになります。若君は、どの学説も理解して読解していらしゃいます。解らないという点は全くなくて、驚くばかりの抜群の成績なのでした。やはりそれにふさわしい天性の資質をお持ちだからこそと、誰もみな感涙をお流しになります。なかでも伯父君の右大将は、 「亡くなられた御祖父の太政大臣がご存命だったら、どんなにお喜びになられたことか」 とおっしゃって、お泣きになります。源氏の君も、たまらなくなって、 「これまで、人の子が成人していくにつれ、その親が老人呆けになっていくのを見て、他人事ひとごと
としては、恰好の悪い、みっともないことだと思っていたのですが、人間はみんなこうなるのが人の世の習いというものなのでしょうめ。わたしなどは、まだそれほどの年というわけでもないのに、こんなに泣いたりして」 などとおっしゃって、涙をおし拭ぬぐ
われる御様子を拝見して、師匠の大内記は、心からうれしく面目を施したという思いでいっぱいです。 右大将が大内記にしきりに盃をおさしになるので、すっかり酔っ払ってしまった大内記の顔は、ひどく痩や
せこけています。この人は人付き合いもしないたいそうな変わり者です。学才のあるわりには出世できず、人から見捨てられて貧乏しておりましたのを、源氏の君が見所があると見込んで、若君の学問の師として、こうして特別に召し出されたのでした。身にあまるまでお目をかけていただいて、この若君のおかげで、突然運勢がよくなったことを思いますと、まして将来は、肩を並べる人もない世間の評価を得られるでしょう。 若君が大学寮受験のため、大学の寮にお入りになられる当日は、寮の門前に上達部のお車が数知れず集まっていました。およそ世間にこのに来ない人はいないだろうと思われる有り様です。そこへ侍者たちに大切にかしずかれて、装束など見事に着付けさてて入っていらっしゃった、元服したばかりの夕霧の若君の御様子は、まったくこんな貧しい学生の仲間入りには不似合いで、いかにも上品で可愛らしく見えます。 例のよって見すぼらしい風采の学者たちが入り交じっている座の末席につくのを、辛いとお思いになるのも、たしかに無理もないことです。 ここでもまた、大声で学生を叱りつける学者たちがいて不愉快ですのに、若君は少しも気おくれせず出題された箇所をすらすらと読み終えられました。 今は、昔の盛んな時が思い出されるほど、大学の栄えている時代で、上、中、下のどの階級の人々も、こぞって我も我もと学問を志して集まりますので、ますます世の中には学問が出来、能力のある人が多くなってきました。若君は擬文章ぎもんじょう
の生しょう などとかいう試験をはじめとし、どれもすらすらと、みな合格しておしまいになりました。それからは師も弟子もますます熱心に打ち込んで勉学にお励みになります。 源氏の君のお邸でも漢詩を作る会がしきりに催されて、学者や詩文にすぐれた人たちは得意顔です。詩文に限らず、何事につけても、それぞれの道に才能のある人々は、すべて実力が発揮できて認められる時代なのでした。 |