〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/17 (火) 

乙 女 (三)

大学寮の規則で、中国ふうのあざな をつける儀式は、二条の東の院で行われます。東のたい を式場として準備されました。
上達部や殿上人でんじょうびと たちは、めったに見られない珍しい儀式なので、見たがって、われもわれもと集まって来ました。大学の博士たちもこんな有り様にかえって気おくれがすることでしょう。
「なにも遠慮することなく、しkたっりに従って、容赦なく厳格に執り行うように」
と、源氏の君がお命じになりましたので、博士たちはつとめてさりげなく平気なふりをして、借り物の衣裳が身に合わずみっともないのを恥もせず、表情や声色まで、いかにももっともらしく振舞っています。定められた座に居並ぶ作法をはじめとして、何もかも見たこともないような異様な様子です。
若い公達きんだち たちは、こらえきれずについ笑ってしまいます。実は、軽々しく失笑したりしないようにと、年輩の落ち着いた人々だけを選び出して、お酌の役などもおさせになったのでしたが、なにしろいつもとは勝手の違った宴席ですから、右大将や民部卿みんぶきょう などがひたすら緊張なさり、さかずき を受けていらっしゃいます。それに対して博士たちは興ざめなほど、厳しくあら探しをしては、けなしつけるのです。
「総じて、相伴しょうばん 役の方々は、実にもっての外なる無作法であられる。これほど著名なわが輩を御存じなくて、よくも朝廷にお仕えしていられることだ。いやもう、実に愚かな話でござるて」
などと言いますので、人々はたまらなくなって、吹き出してしまうのでした。すると博士たちはまた、
「騒々しい、静粛になされ、実にけしからん、退出なさい」
など脅かして言うのも、ほんとうにおかしいのです。
こうした儀式をはじめて見る方々は、珍しく、興味深く思って、大学寮の出身で立身なさった上達部などは、得意そうにほくそ笑いしながら、源氏の君がこんなに学問をお好みになり、若君を大学に入れて修業させようとなさるのは、まことに結構なご見識だと、ますます御尊敬申し上げます。
博士たちは、参列者がちょっと話をしても制止したり、無礼だと言っては叱りつけます。やかましく大声で叱っている博士たちの顔も、夜になりますと、昼よりもかえって一際ひときわ 鮮やかに明るい灯火に照らされ、猿楽さるがく のように道化じみて見えたり、みずぼらしげで、不体裁であったりなど、色々と実に異様な有り様なのでした。
源氏の君は、
「わたしのようにだらしなくて、融通の利かない人間は、席に出て行ったらさぞこっぴどく叱られて、まごつくだろうか」
とおっしゃって、御簾みす の中にかくれて、式を御覧になりました。
定数の座席につききれず、せっかく来たのに帰っていく大学の学生がくしょう たちもいるとお聞きになり、釣殿つりどの のほうへお呼び止めになって、その人たちにはとくに引き出物などを下されたのでした。
儀式が終って、退出しようとする博士や、漢詩文に優れた人々を源氏の君はお召しになって、またまた漢詩の会をお催しになります。上達部や殿上人も、漢詩文に心得のある人たちだけは、皆お引止めになりその座にお加えになります。博士たちは五言律詩ごごんりっし を、専門外の人々は源氏の君をはじめみな、絶句ぜっく をお作りになりました。
興趣のある詩題の文句を選んで文章博士もんじょうはかせ が提出します。
夏の短夜みじかよ のことなので、夜が明け果ててから一座の人々の詠詩が披露されました。左中弁さちゅうべん披講師ひこうじ の役をつとめます。この人は容貌の非常に美しい人で、音声も重々しくて、神々こうごう しく詠みあげていく様子は、たいそう結構でした。世間の信望にも格別に篤い学者なのでした。
このような高貴の家柄にお生まれになって、もっぱらこの世の栄華にふけられてよいご身分なのに、窓の螢を友とし、枝の雪に親しんで勉強したという昔の人の刻苦勉励にならわれた御決心が、どれほど御殊勝なことかということを、ある限りの故事を例に引いて、それぞれの人が思い思いに詩を作り集めました。
その詩句は、どれもみな優れていて興深く、本場の唐土もろこし にまで持っていって、披露したいような作品であったと、当時、世間でも誉めたたえたことでした。
源氏の君のお作はいうまでもありません。親らしい愛情までこめられ、感動的ですばらしかったので、人々は感涙しながら、口々に朗誦して称讃しました。女がよくわかりもしない漢詩を口にするのは、生意気だと気がひけますので、ここは書きません。
それから引きつづいて入学の儀式をおさせになって、そのまま、二条の東の院内に、若君の御学問所をお造りになりました。学問の造形深い先生に若君を預けになって、本格的のに学問をおさせになります。

源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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