〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/16 (月) 

乙 女 (二)
故太政大臣家の葵の上のおのこ しになられた若君の御元服げんぷく を、源氏の君は早くからなさろうと思われてお急ぎになります。はじめは二条の院でなさるおつもりでしたが、御祖母の大宮が、孫の御元服の式をたいそう御覧になりたがっていらっしゃるのもごもっともなことと、お気の毒に思われまして、やはり若君のお育ちになった三条の太政大臣邸でそのまま挙行なさいました。
若君の伯父君に当るかつての頭の中将は、今は大納言で右大将になっていらっしゃいます。その他の叔父君たちも、みな上達部かんだちめ で、みかど の御信任も殊の外に厚い方ばかりなので、主人側としてその方々が、われもわれもと競って式に必要な用意万端を、御準備なさいます。世間までがその噂に大騒ぎして、大変な御威勢の豪華な御準備の様子でした。
源氏の君は、はじめ若君を四位にしようとお思いになり、世間の人々もきっとそうなさるだろうと思っていましたが、若君はまだ若年だし、いくら自分の思い通りになる世の中ふぁからといって、わが子をいきなり高い位につけたりするのは、かえって月並すぎるだろうと考えられ、四位にすることをお取り止めになりました。
若君が六位の浅葱色あさぎいろほう を召して、宮中にお帰りになるのを、祖母の大宮は、あんまりひどいなさりようだと、たいそう御不満でいらっしゃるのもごもっともです。ほんとうにお気の毒なことでございました。
源氏の君とお会いになられた時、大宮がこの件について心外だと訴えられましたら、源氏の君は、
「今からこんなに早く元服させて、無理に大人扱いにしないのでもいいのですが、思うところがございまして、大学寮に入れてしばらく勉強させたいと考えているのです。この二、三年は無駄なように見えましても、あえて廻り道をさせ、しっかり学問を身につけて、そのうちに朝廷のお役にも立つようにもなりましたら、自然に何とか一人前にもなりましょう。わたくしは宮中の奥深くに成長しまして、世間のこともよく知らず、終日、父帝のお側に控えておりましたので、ほんの少々、漢籍の端くれなどを学んだだけでした。ただ、おそ れ多いことに、帝から直々に教えていただきましたが、それでも、何につけても広く経験をつまないうちは、学問を習っても、音楽の稽古をしても、何かと力が足らず未熟な点が多うございました。
賢い子供でも、愚かな親に勝るという例は、めったにないことです。まして次々と子孫の代になるにつれ、教養の開きも大きくなりますと、将来どうなっていくことかと、実に気がかりでなりませんので、今のうちに学問をしっかりさせようと、このように取り決めたのです。名門の子として生まれ、位階昇進も思いのままにかな い、世間の権勢の中で得意になって威張るのに馴れますと、学問などして苦労するのは、全く自分とは無縁のように思うようです。遊び事ばかりに身を入れて、それでも思うままに高位高官に昇ってしまいますと、時勢におもねる世間の人々が、内心では馬鹿にしながら、表面では追従ついしょう して機嫌を取り結び言いなりに従うものです。そんな間はなんとなくひとかどの人物のように思われ、堂々としているように見えますが、時勢が移り変わり、頼りにする人々にも先立たれて、運勢も落ち目になってしまった果てには、人に軽蔑されても、もう寄りすがるものもない惨めな有り様になってしまいます。ですからやはりそんな時も、学問という基礎があってこそ、実務にも応用をきかせ、政治家としての能力が立派に発揮されるものでしょう。さし当たっては、もどかしいようですが、将来、国家の重鎮となるやめの教養を身につけておきましたなら、わたくしの死後も心配なかろうかと思いまして。今のところは、頼りないようでも、わたくしがこうしてついております以上は、まさか大学寮の貧乏書生よなどと、嘲笑する者もいないだろうと思います」
などと、ことをわけて御説明なさいますと、大宮は嘆息ためいき をおつきになって、
「なるほど、そこまで深くお考えになるのも父親としては当然なことでした。けれどもこちらの右大将なども、あまり世間に例のないなされ方だと不審がっているようです。本人も子供心にたいそう口惜しそうで、右大将や左衛門さえもんかみ の子供たちなどを、自分よりは目下の者だと見下げていましたのに、その従兄弟たちはみなそれぞれ、位が上って一人前になっていきますのに、自分だけが六位の浅葱の袍を着ているのでは、たいそう辛いと沈んでいるようで、可哀そうでなりません」
とおっしゃいます。源氏の君はお笑いになって、
「すっかり大人になったつもりで不平をいうものですね。まったくたわいもない。そんな程度の年頃なのですよ」
とおっしゃって、そういうわかぎみを、いあかにもかわいいとお思いになるのでした。
「学問などしまして、もう少しものごとを理解できるようになりましたなら、そんな恨みは自然に解消してしまうでしょう」
と申し上げます。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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