〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-Z』 〜 〜
== 源 氏 物 語 (巻四) ==
(著:瀬戸内 寂聴)

2016/05/15 (日) 

乙 女 (一)
新しい年が明け、藤壺の宮の御一周忌も過ぎましたので、人々は鈍色にびいろ の喪服を脱ぎ替え、四月の衣更えの頃などは、見た目もはなやかに浮き立ちます。まして賀茂の葵祭あおいまつり の頃は、あたり一帯の青空の景色がいかにも華やかです。それなのにぜん 斎院の朝顔の姫宮ばかりは、侘しそうな物思いに沈んでいらっしゃるのでした。若い女房たちは、庭先の、深緑の桂の木の下風の香りがなつかしいにつけても、斎院時代のことをあれこれと思い出しています。折からそこへ源氏の君から、お見舞の手紙がまいりました。
「今年の御禊ごけい の日は、斎院でいられた頃にくらべ、さぞのんびりとくつろいだお気持でいらしゃることでしょう」
かけきやは 川瀬の波も たちかへり 君がみそぎの 藤のやつれを
(思いもかけなかったことよ ただすかわ で斎院の御禊みそぎ をされたあなたが ふたたびめぐってきた今日 父宮の服喪やつれを除く 御禊をなさろうなどとは)
紫色の紙に書き、かしこまった立文たてぶみ の形にして、藤の花におつけになっています。折も折なので朝顔の姫宮はしみじみした気分にさそわれて、お返事をなさいます。
藤衣ふじごろも 着しは昨日きのふ と 思ふまに 今日はみそぎの 瀬に変はる世を
(父宮のため喪服を着ましたのは つい昨日のように思われるのに 今日はもう除服の御禊に 川瀬に立つとは何と 移り変わる世の早い流れよ)
「この世ははかないものです」
とだけ書かれているのを、源氏の君は、いつものようにお目をとめて、しみじみなつかしそうに御覧になっていらっしゃいます。
朝顔の姫宮が喪服をお脱ぎになられる折にも、女房の宣旨せんじ のところに、源氏の君から置き場所もないくらいに、たくさんのお心づかいの御衣裳の数々をお贈りになりました。
朝顔の姫宮はそういうことを、人目にも見苦しいこととお思いになり、またお口にもされ迷惑がられるのでした。ところが宣旨は、
「意味あり気な色めかしいお手紙でもついていましたなら、何かと申し上げてお返しも出来ましょうが、これまでもずっと表向きの御進物などは、何かにつけ始終いただいておりましたし、今度だって、まったく真面目なお見舞のお手紙なのですもの、どういう口実でお断り申せましょう」
と、当惑しきっている様子です。
女五の宮のところにも、同じように時をはずさずお見舞のお手紙をなさいますので、女五の宮はたいそう感動なさいまして、
「つい昨日今日までは、源氏の君を子供とばかり思っていましたのに、いつの間にかすっかり大人になられて、よくまあ、気をつけてお見舞い下さること。御容姿がとてもおきれいな上に、御気性まで人にすぐれて立派に御成人なさっていらっしゃる」
と、ほめちぎられるのを、若い女房たちは、源氏の君のお目当ては、朝顔の姫宮なのにと、おかしがって笑っています。
女五の宮が、朝顔の姫宮にお会いなさる時は、
「源氏の君が、こんなに御丁寧に何かとお手紙を下さるようですが、いえねえ、こうした御執心は何も今にはじまったことでもないのです。亡き父宮も、あのお方が他家と御縁組みなさったので、自分の婿としてお世話出来なかったことにがっかりなさり、 『わたしがせっかくそのつもりだだったのに、姫宮本人がとても強情でとりあわなかったのだ』 などと、度々おっしゃって、残念がっていらっしゃった時もありました。それでも、故太政大臣の姫君のあおいうえ が、御存命でいおられた間は、母君の大宮の思惑がお気の毒ですから、わたしもあれこれお口添えすることも控えていました。でも今はもう、御身分も高く重々しいおん正妻だったお方もお亡くなりになったのですから、父宮のお望み通りに、あなたが源氏の君の正妻になおられても、何の不都合があろうかと、ふと思われるのです。それにつけても源氏の君が昔と同じようなお気持になられて、こんなに熱心に求婚なさるのも、そうなる前世の因縁がおありなのかと思われますよ」
と、いかにも古風な調子でお勧めになるので、姫宮はいや なお気持ちになられ、
「亡き父宮にも、わたしはこんなふうに強情者と思われて通して来ましたのに、今さらまた世間並み常識に従うのも、何か全くそぐわにような気がします」
とおっしゃって、取りつく島もないような御様子なので、女語の宮も、それ以上は無理にお勧め出来ずにいらっしゃいます。
宮家にお仕えする人々も、身分の上下にかかわらずみな、源氏の君にお味方していますので、姫宮はいつ女房たちがひょっとして手引きしたりしないかと、不安でなりません。
源氏の君御本人は、誠意の限りを尽くして、深い真実の愛情をお見せになって、姫宮のお気持ちが和らいで下さる時を、せつに待ちつづけていらっしゃいます。姫宮が御心配なさるように、無理強いにそのお心をふみにじろうなどとは、夢にもお考えになってはいらっしゃらないようです。
源氏物語 (巻四) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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